「青い頬のひと」

2019-05-22 | 日記

             

スケッチブックに描いたデッサンをここに掲載したはしたものの、今夜も、星空の下で風呂上がりのストレッチはしたものの …… 。という訳でここに、このデッサンとストレッチの関係性が生まれてくるのだった。「 …… はしたものの」という共通項である。どちらが上位にあるとか下位であるとか、ではない並列の関係である。従って、デッサンという言葉も、ストレッチという言葉も単に発音に過ぎなくて、それらの意味はここでは意味をはく奪されて無意味である、とするのである。デッサンすることはストレッチすることと同じであり、また、ストレッチすることはデッサンすることであるから、実際のところ意味の通じない ( 無意味 )「する」である。だから僕は、日々を無意味に過ごして見たい、という希望があって、悩みや苦しみも無意味になってしまうことを「する」のを考えて見たいと思う。「 …… はしたものの」結果、結局は意味がなかった、ということ。こういうことは僕の日々には、たくさんあるのである。ものごとの意味のあることを、無意味であることに変えることは、それはどうせだったら面白いことだ、と思ってもいいかも知れない。意味の世界と無意味の世界があるんだったら、その両方の世界を自由に往来することができれば、そのことだけでもそれはそれで僕の人生をもっと豊かにしてくれそうである。何もここに、この絵を掲載することはなかったから、これは無意味である。しかし、僕としては面白いのですから、読者の方々様、悪しからず思っていただきたいのです。

面白い、は無償であって意味がない。ということとすれば、意味がないということは、ひたすらなる献身的な面白さのことである。

 


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