矢尾板克則さん ( 1969年生 ) という長岡市内在住の陶芸家の作品展を見た。写真の器がそれであるが、展示品もいいのであるが、この使い続けている器の味わいが画廊の夕方の時間にとてもいいのであった。大きなガラスドアの向こうに、桜の枯葉がエクステリアに散っている。
作家ご本人からお話を伺った。時に、山の端が、山と空との境界がとても気になるそうである。普段使いのものを作っていると、何故か山の端が気になり出して仕方ないそうである。人間の生理と心理の相関はどこかで切れているようで、しかしどこかで繋がっているから、気の置けない話にも、多く創作のヒントがある。
暮れてゆく外の暗さが、室内の明かりを一層優しいものにして、丸い器の儚いような彩色の薄いエッジに、自然な裂け目があるのは、それは暮れて行く山の端のイメージだろうか。造形するということは、別言すれば、自然という神秘になんとか接近したいという、願いのようなものだろうか。そのために陶芸家は日々、土を捏ねくり廻すのである。このつまらない日常に自然の神秘を意識さすのである。 Katsunori Yaoita 2011.11.25-12.6 Gallery mu-an
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