アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

憧れの信越海線での撮影

2016-05-17 06:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

前出の記事に続き、EF81の写真を・・・

まだ鉄道写真駆け出しの頃、初めて撮影目的で裏日本まで行き、一日撮影に明け暮れた時のもの。上野から長岡行き夜行(115系だった)で出発、接続する新潟ローカル(70系)に乗ってここ青海川まで来た。

それまでのイメージ通り、日本海のまだ明けやらぬ暗く重い雰囲気にどこか圧倒されて、ホームでしばし休息するまもなく、501レ急行「きたぐに」新潟行きが通過して行った。

当時から大好きだった10系寝台を連ね、爽快に目の前を通過して行くパーイチの初期車。この時代は、ゴハチはもちろん、EF15やEF62までやってきた一大幹線だったが、その中ではEF81はどちらかというと嫌われ役。この急行「きたぐに」も脇役だったが、パーイチを語る上では外せない列車だろう。写真は見苦しいが、自身の記憶を残すために掲載させてもらう。

1978-05-21     501レ  急行「きたぐに」    EF813    信越本線/青海川にて

 

 


日本海縦貫線EF81の終焉

2016-05-15 19:00:00 | 鉄道写真(EL)

週末は、日本海縦貫線までJR貨物のEF81の撮影に行ってきた。

来月をもって富山のEF81、つまり裏日本を走破するEF81牽引の貨物列車は引退すると聞いた。この日本海縦貫線をEF70現役の頃から本格的に撮影してきたアントンKにとっては、いよいよ切迫感のような張りつめた気持ちになっていた。当時、交流機だったEF70を次々追いだしていった交直流機のEF81の印象だったから、未だに若く万能なイメージがあるのは、今となっては時代錯誤か。近年、実際にパーイチに接してみると、過酷な仕業のためなのか、見るに堪えない御姿を露呈している。かつての縦横無尽に裏日本を闊歩している華やかなイメージは無かった。

GWが終わり、ここのところまるで限定運用のように富山と吹田の間を行き来している富山のパーイチだが、機関区の50周年を記念してヘッドマークを装着して走行している。こんなこと一つにも、現場の方々のパーイチへの想いが伝わるが、同じパーイチでもカシオペア牽引の81号機はピカピカに磨かれ、今後の余生も大事にされてまだ活躍していくことを思うと、何とも切ない気持になってしまった。

2016-05     EF81721        JR西日本/北陸本線:加賀温泉にて


優等生ハイティンクの指揮振り

2016-05-11 15:00:00 | 音楽/芸術

ベルナルト・ハイティンク(1929-  )というオランダの指揮者がいる。今年で87歳だから、もう世界の指揮者界でもいつの間にか巨匠の域に達している。

アントンKもこのハイティンクという指揮者については以前より知っていて、何度か実演にも触れている。ロンドン響やらアムステルダム・コンセルトヘボウ管だったと思うが、ドイツもの中心のプログラムを何度か聴いた。もうあれから20年近くは経ってしまったから、彼が60代の頃のはずだが、今振り返ってみると楽曲に対して素直な解釈で我々聴衆を魅了していたといった印象が強い。

アントンKが最初にこの指揮者を聴いたのは、まだ学生時代のLPレコードの時代。とにかくレパートリーが広く、ありとあらゆる楽曲の録音が出ていたイメージだが、この頃のいわゆる壮年期と呼ばれる60年代から70年代の演奏は、パッとした特徴がなく、美音に酔って心地よくなって終わるといったものばかり。音楽に精神性など考えず、ただ譜面を流すといった表面だけの演奏に思えていた。どれを聴いても何を言いたいのかわからず、特に後期ロマン派の楽曲、マーラーやブルックナーのシンフォニーでは、つかみどころがなく、楽曲そのものをダメにしてしまうと思えるほどだった。

しかし近年のハイティンクは、見違えるように円熟の境地に達し、楽曲に対してもどっしりと構え、独特のハイティンクらしさという物が聴いていて感じられるようになっていた。奇手を狙わず、実直丁寧な演奏は、何せ安心して音楽に身を置くことができる。おそらく日本にも多くのファンが存在していると思われるが、今後アントンKの中でも、益々注目していきたい指揮者の一人になった。


青春時代の残照

2016-05-08 12:00:00 | カメラ

今年は、とにかく身の回りの変化の多い年廻り。

時間とともに次々起こる出来事に押し流されそうになるが、そんな中、自らも進んで身の回りの整理を少しずつではあるが片づけ始めている。その最たる物事は、今まで撮り溜めた画像のデータ化だろうが、これは毎年思うことで中々進行しない。地道という言葉が一番当てはまるだろうが、時間の許す限り先へと進めて行きたい事柄だ。このブログにも、その都度報告できれば、進行の良いきっかけになるのだが、果たしてどうなるか・・・

また今回部屋の模様替えも兼ねて、趣味誌CDも大量に廃棄処分して心機一転を図り、普段の生活が快適に変わるようにしてみたつもりだが、必要不必要の差別化が図れず苦慮している。1年触らなかったものは、今後必要ないと言われるそうだが、その辺の境目は本当に難しいところ。

カメラやレンズもかなり整理してしまったが、どうしても手元に置いておきたい思い出深いカメラがある。

80年代に買ったNikon F3Pだ。

当時はまだ学生の身、ニコンのF3には中々手が届かず、せっせとバイトに励み、やっとの思いで手に入れたカメラだから思い入れも深い。お世話になっている先輩から、「どうせ買うならP型を・・」との有難いお誘いも忘れてはいない。このニコンF3Pに300ミリF2,8Sの組み合わせで撮影することが、当時の大きな目標だったのだ。

角ばった無骨とも言えるボディに大口径レンズを組み、線路端に繰り出す。いかにもフィルムが装てんしている感のある、モータードライブMD-4。コイツの操作音と手に伝わる心地よい振動が大好きだった。

あれから40年余り、撮影の環境は大きく変化してしまったが、ここまで思い出深いカメラは、アントンKには出来ていない。おそらくこれからも出来ないだろうな・・・

現代のデジタルカメラの方が、写真については圧倒的に良く映ることは間違いない話。しかし、ピントや露出、フィルムの好みなど、友人とのやり取りを交えたあの頃の緊張感はどこへ行ってしまったのだろうか。出来上がった写真は敵わないが、目に見えない当時の想いは、このカメラの中に宿っている。これは、青春時代の残照と言えるだろうか。

当時を思い出しながら、数十年ぶりに三脚にセットしてみた。

 


65PF 最終全検を機に国鉄色化

2016-05-02 12:00:00 | 国鉄時代(カラー)

現在JR貨物に所属するEF65PFのラストナンバー、1139号機(現在2139号に改番)が、全検を機に国鉄色に戻り話題になっている。

この話は、随分前から耳にはしていたものの、

今さら「何で?」との想いが半分、やるなら徹底的に原形に!との想い半分。

その結果は?

塗り分けはともかく、JR表記をはずしたところまではよかったが、ナンバープレートが赤で出場と相成った。

これでは、やはり興ざめ。中途半端感が否めない。

もっともこの65PFは、元を正せば関東にはゆかりも無く、宮原や下関のゴハチを駆逐するために生まれてきた65PFで最終グループに属する。アントンKの好む初期型のタイプからすれば、異形式に映る。スノープロウも無く耐寒耐雪構造も省略された65PFには魅力を感じない。

まあ、世間に逆らうことをここで唱えても仕方がないこと。素直に喜ぶべきだろうか。

今月後半に予定されている大宮のイベントに展示されてからの運用になると思っているが、

2119号機、2121号機のいない現在、若いファン諸君の垂涎の的になることは間違いないだろう。

写真は、旅客時代のPF1139号機による特急「踊り子」号。

このスジは、最後のゴハチ牽引の特急として有名だったが、この撮影時期である1984年は、東京のゴハチも淘汰されつつある頃。HMを掲げ、さっそうと走り去る65PFを恨めしく思って撮影したことを思い出す。

1984-12-31    9027レ  EF651139  踊り子      東海道本線/ 保土ヶ谷-戸塚