平成時代、最後に動いたEF58から今年でちょうど10年が経ったらしい。むろん虎の子61号機だったが、都内を単機でひっそりと走っていった。アントンKも、この日お見送りに行ったが、今まで色々な場面で見てきた貫禄ある表情や趣は無く、どこか虚しさだけを感じた想いが甦る。それはもう撮影出来ないという自分の感情からの印象だが、あれから10年も時間が過ぎてしまったという現実。重く受け止めていきたい。
国鉄がJRになってから、EF58もそれぞれ別々の会社で細々と余生を送ることになるが、JR東海には、EF58122号機、157号機の2台が稼働していた。工事列車やイベント用で走っていたと記憶しているが、正直アントンKには、写欲が起きず全く撮影していない。この2台のゴハチには、全盛時代から良い思い出のない機体であり、その形態から嫌ってきた号機だった。何を今さらといったおごった気持ちでいた当時のアントンKだったが、こうしてこの場で振り返れば、もう少し撮影に出向くべきだったと後悔の念をもつ。しかし、この2台のゴハチ終盤の頃の、異常なまでのお祭り騒ぎに身を置く気持ちになれないでいたことも事実だった。
JR東海のEF58157号機のけん引する団体列車。4両の座敷客車を牽き、単線の飯田線にゆっくりと現れた。この時、これが本来のゴハチの姿ではないと感じてシャッターを切ったことを思い出す。そして今でもそう思う。ゴハチを愛したファンの一人として、哀しい気持ちになる一コマなのだ。
1990-12-02 9822ㇾ EF58157 ナコ座4両 JR東海/飯田線:三河東郷付近
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