今春のダイヤ改正は、JR30周年の節目の年に当たるちょっと感慨深いダイヤ改正となった。今思い返してみても、やはり30年という歳月は途方もなく長い。いつの間にか、アントンK自身の人生も国鉄時代よりJR時代の方が長くなっていることに気づかされる。最も多感な時期に鉄道写真の魅力に取りつかれ、それを何となく、でも気持ちを入れてここまで引きずってきた感覚がしている。
これまで撮り溜めた写真は、それなりに量が増えてきたが、だからと言って今後も同じことを繰り返していて良いのかという命題に最近は直面している。
ここで何度か昔のネガフィルムをスキャンしていると書いてきたが、その作業が全て終わったとしても、ある程度の達成感と理由のない安堵感は味わえるかもしれないが、心の充実とはほど遠いように思えてならないのである。出会いがあれば、同じだけ別れがあるように、長年腰を据えて鉄道にカメラを向けていれば、誰だってその時代時代を記録することに繋がり、たまたまある時代を生きたという証拠にはなるが、何の独自性もないのではないかと思えてならない。偶然にもアントンKは、国鉄からJRに移行した時代にたまたま写真を撮っていたということだけで、残っている写真には何の価値もないように思えてしまうのである。価値観なんて人それぞれ。趣味で、好きで撮影してきた訳だから、誰に何を思われようが構わないが、今では、自分の中で時代とともに撮影に対する思い入れが減っている事は事実のようだ。
カメラを持って、一期一会の瞬間に出会い感動し、その瞬間を切り取る写真撮影の魅力は素晴らしい。アントンKにはこれからも一生の宝物だろうが、これまでとは違った撮影に対する考え方や時間の使い方も、この節目の年を迎えるにあたり考えさせられている。
移りゆく季節、満開の桜を横切る65PFを見て、今年はそんな想いがこみ上げてきた。
2017-04 新鶴見操車場にて
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