風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

マリリンは80歳!!

2006-06-01 13:43:48 | 今日はナンの日?
Marilyn今日はあのアメリカが生んだ偉大なるセックスシンボル、マリリン・モンローことノーマ・ジーン・モーテンスンの生誕80年の日である(1926年6月1日生まれ、ちなみに亡くなったのは1962年8月5日。謎に満ちた死だった。享年36歳)。いわば、「マリリン・モンローの日」なのだ。
月刊『PLAYBOY』誌も先月のビートルズに引き続いて特集を行っている。いうまでもないだろうが、アメリカ本国版の『PLAYBOY』誌は、女優になっていたマリリンのピンナップ・ガール時代のヌード写真を1953年の創刊号でスッパ抜き、そのことによって『PLAYBOY』誌もマリリンもセンセーショナルに有名になった。地味な端役女優からセックスシンボルへの転身である。マリリンにとっては、わずかの金で身売りする貧しいかけ出し時代のヌード写真だった。
ペントハウスでバニーガール・スタイルの美女に取り囲まれ酒池肉林のような生活を送っているとイメージされたヒュー・ヘフナーのPLAYBOY帝国は、このような名もないピンナップ・ガールの涙ぐましい売り込みやスキャンダルを商品にすることによって支えられてきた。

マリリンは生きていれば80歳。きっと美しい老い方をしていただろう。一般にイメージされているようにはマリリンは60年代の女優ではない。そのイメージはおそらくJ・F・ケネディとの間でうわさされた色恋沙汰、ケネディの大統領就任中のバースディ・パーティでの「Happy Barthday Mr.President」ととろけるように歌った歴史的な映像にあるだろう。
実は、マリリン・モンローの女優としての全盛期は50年代、マリリンはフィフティーズのアイドルであり、エロいだけの大根役者から、ストラスバーグのアクターズスクールでの演技指導以後、めざましく名女優へ変身した。演技に開眼したのだ。

マリリンの歴史的映像といえば、 これは写真なのだが朝鮮戦争当時、前線に慰問に行った時のものがある。アーミールックに豊満な身を包んだマリリンも捨て難いが、零下に近い朝鮮の厳しい寒さの中、慰問先の仮設舞台で肩をむきだしにしたドレスで歌うマリリンが素敵だ。そのサービス精神に女優魂をほとばらせている。それを取り囲む兵士たちは、本国から遠く離れ、マリリンのピンナップ写真をベッドサイドに貼って、戦地の男だらけの無聊を慰めていただろう。そんな兵士たちの懐かしさとギラつく欲望とそして自分の母親を眺めているかのような一瞬が切り取られている写真がある。たしか、舞台に食い付くように乗り出してマリリンの足下でマリリンが落とした何かを握りしめて笑っている兵士の印象的な写真もあった。

現在、読売新聞の主催で横浜高島屋でモンローの写真をデジタル処理した(ジャック・アレンによる)あらたなモンローの表情と1億円相当のマリリンが身につけていたダイヤのネックレス「バローダの月」などのドレス、アクセサリー展示を抱き合わせにした展覧会が開かれている。
画像はそこからのもので、拝借したお礼に宣伝しておきます。お近くのかたはどうぞ!

「生誕80年記念マリリン・モンロー綺麗のヒミツ展」
会期・会場  5月25日(木)~6月5日(月) 
       午前10時~午後7時 6月1日は午後6時、5月29日と最終日は午後5時閉場(入場は閉場の各30分前まで)
       横浜高島屋 8階ギャラリー
入場料金   一般:800円、大学・高校生:600円 *中学生以下無料
横浜タカシマヤ:045-311-5111

(画像はジャック・アレンによるマリリン・モンロー)