風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

四人はアイドル/ビートルズがやってきた!

2006-06-29 02:05:21 | トリビアな日々
Onstage_in_japan丁度、40年前の1966年6月29日??62年にレコード・デビューするや否や、またたくまのうちに世界的なアイドル・グループとなったビートルズが、武道館での三日間、全5回の日本公演をこなすために初来日、羽田に降り立った日である。
貧しい母子家庭の子どもであったボクにはコンサートチケットをねだる人間もいなかった。ボクらには、まだコンサートに行くという習慣も、ましてレコードを買うと言う習慣もほとんどなかった時代だ(ましてレコードは高かったし、LPレコードつまりアルバムは月収の10分の1くらいして、とても買えなかった)。
しかし、ビートルズの日本公演は抽選で、それでも当時としては破格の20万人の応募があったのだ。ビートルズの日本公演は、ドリフターズや尾藤イサオ、内田裕也、ブルーコメッツなどの前座演奏を別にすれば、30分きっかりの今ではもの足りないくらいの演奏時間だった(ビートルズ日本公演の司会は先日亡くなった岡田真澄の実兄E・H・エリック)。
そのセットリストは以下のようなもの。

ROCK'N ROLL MUSIC
SHE'S A WOMAN
IF I NEEDED SOMEONE(邦題「恋をするなら」)
DAY TRIPPER
BABY'S IN BLACK
I FEEL FINE
YESTERDAY
I WANNA BE YOUR MAN
NOWHERE MAN(邦題「ひとりぼっちのあいつ」)
PAPER BACK WRITER
I'M DOWN

まさしく、アーリー・ビートルズだ。ボクなどはそのほとんどを毎週聞いていた音楽番組で耳になじんで、いまだ忘れられない曲ばかりである。
ビートルズは、翌年に「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」をリリースし、超越瞑想のグルであるマハリシに傾倒してゆく。

ちなみに、日本武道館をこのような海外の不良グループが使用することに賛否両論があったそうだ(あの頃は爆音を出すエレキギターを使用することだけで、不良扱いされた)。ビートルズはその意味でも「日本武道館」をロックミュージシャンにとっての憧れの殿堂にした功績があるだろう。ビートルズを呼んだ「呼び屋」は。その後も際物的なインド大魔術団などを手掛けて伝説的な「呼び屋」となる。

ボクはというと、ポータブルのプレイヤーを小遣いをためて買い、ドーナツ盤を買ってウサをはらしていた。もっとも、ボクはどちらかというとローリング・ストーンズ派で、ストーンズの黒いニグロ的な音楽性の方を好んでいた。とか言いながら、中学生くらいの時にたどたどしい英語でリトル・ペギー・マーチに手紙を書き、返事をもらっては喜んで、リクエスト葉書に書く曲名はペーギー・マーチやブレンダ・リーだったりしたんだが……。
(写真は「The Beatles on stage in Japan」)

(六月のクロニクルその3)