◎6月23日は沖縄のひとにとっては大事な一日であった。先の戦争で日本国内唯一の上陸戦となって20万人といわれる戦死者(その半数が女子供を含める一般人)を出した沖縄戦の犠牲者を慰霊する「慰霊の日」だった。昨年、終戦から60年の特別な慰霊祭の中継を、京都の「太陽と月のまつり」からの帰り、国道沿いのレストランで昼食をとりながら、ココナツと見ていた。
今年は、その戦没者のなまえを刻んだ「平和の礎(いしじ)」に、さらに588名が加えて刻銘されたという。
沖縄戦から61年めの瞑目の日。
17歳の池彩夏さんという那覇商業高校三年生の少女が「若い瞳」という自作の追悼詩を朗読したと言うニュースがこころをなごませた。
◎さらに、6月24日、37年前の今日。
国鉄山陰線の貨物列車に京都市中京区西ノ宮の天神踏み切り近くで、線路上を歩いていた若い女性が、飛び込み即死した。
彼女の名前は 高野悦子。二十歳。立命館大学文学部日本史学科三回生。日大闘争や東大闘争など大学が自治の問題や、学費値上げ反対や、安保闘争などの「政治の季節」にあった頃、そのまっただ中で自己の存在、生き方、権力への憎悪そして愛の問題に悩み、逡巡し、京都荒神口にあった「しあんくれーる」というジャズ喫茶に入り浸ってよく日記を書いていた。
死後、その日記は父親の手でまとめられ、三冊にわたって出版され、ベストセラーとなる。
みずからの「成人の日」にしるした以下のことばがその出版物の署名となる。
独りであること 未熟であること これが私の 二十歳の原点である(1969/1/15)
純粋に学生であること、女性であること、ブルジョアであることを悩み、清らかに生き、そして苦悩の末に死を選んだ。二十歳の詩の好きなひとりの青春の死だった。
(写真は生前の高野悦子さん。『二十歳の原点』(新潮社)口絵写真より)
(六月のクロニクルその2)
今年は、その戦没者のなまえを刻んだ「平和の礎(いしじ)」に、さらに588名が加えて刻銘されたという。
沖縄戦から61年めの瞑目の日。
17歳の池彩夏さんという那覇商業高校三年生の少女が「若い瞳」という自作の追悼詩を朗読したと言うニュースがこころをなごませた。
◎さらに、6月24日、37年前の今日。
国鉄山陰線の貨物列車に京都市中京区西ノ宮の天神踏み切り近くで、線路上を歩いていた若い女性が、飛び込み即死した。
彼女の名前は 高野悦子。二十歳。立命館大学文学部日本史学科三回生。日大闘争や東大闘争など大学が自治の問題や、学費値上げ反対や、安保闘争などの「政治の季節」にあった頃、そのまっただ中で自己の存在、生き方、権力への憎悪そして愛の問題に悩み、逡巡し、京都荒神口にあった「しあんくれーる」というジャズ喫茶に入り浸ってよく日記を書いていた。
死後、その日記は父親の手でまとめられ、三冊にわたって出版され、ベストセラーとなる。
みずからの「成人の日」にしるした以下のことばがその出版物の署名となる。
独りであること 未熟であること これが私の 二十歳の原点である(1969/1/15)
純粋に学生であること、女性であること、ブルジョアであることを悩み、清らかに生き、そして苦悩の末に死を選んだ。二十歳の詩の好きなひとりの青春の死だった。
(写真は生前の高野悦子さん。『二十歳の原点』(新潮社)口絵写真より)
(六月のクロニクルその2)