クロード・レヴィ=ストロース氏が、101歳の誕生日をひと月後に控えた10月30日自宅で死去されていたことが、報じられた。残念なことであるが、一世紀を生き抜いた「フランス現代知性の巨人」の大往生を悼みながらも祝福したい。
レヴィ=ストロース博士のことは、昨年12月4日付けのこのブログで、博士の「100歳の慶賀」を書いた。11月28日に日本風に言えば百寿を迎えられた博士の100歳を祝わせてもらったのだ。
そこに書いた以上の言葉をいまだ、持ち得ないが、ひとつだけ仮説を付け加えさせてもらいたい。それは『悲しき熱帯』(1955年)という先住民紀行のような一般的エッセイはもちろんのこと、『親族の基本構造』(1949年)という博士論文、そしてフランス構造主義の一金字塔でもあるだろう『野生の思考』(1962年)などの文化人類学的著作は、モルガンの『古代社会』やバッハオーフェンの『母権論』などとともに「先住民文化」や「部族社会」へ目を見開かせたという意味で、60年代ヒッピー・カルチャーの思想的バックボーンになったのではないかという仮説である。
きっと、こんなことを指摘するのはこの文章がはじめてだろうと自負するのだが、ネイティヴ・アメリカン(いわゆるインディアン)や南米インディオの部族的社会構造の研究が、20世紀の破壊と戦争の文明に背を向けたカウンター・カルチャーつまり現代文明の中の「族(トライブ)」たちの思想的よりどころになったのだろう、という考えだ。
そしてまた、ドラッグ・カルチャーでもあったこの世代は、その探求(クエスト)の果てにシャーマニズムや、チベタン死者の書といった経典までも見出したのであった。
いま、若い女性たちのファッションとして再認識されている「森ガール」たちが、どうかクロード・レヴィ=ストロース氏の著作を発見し、理論構築の一助として「野生」や「部族」に、出会いますように!
レヴィ=ストロース/100歳の慶賀→http://blog.goo.ne.jp/angura_1967/d/20081204
レヴィ=ストロース博士のことは、昨年12月4日付けのこのブログで、博士の「100歳の慶賀」を書いた。11月28日に日本風に言えば百寿を迎えられた博士の100歳を祝わせてもらったのだ。
そこに書いた以上の言葉をいまだ、持ち得ないが、ひとつだけ仮説を付け加えさせてもらいたい。それは『悲しき熱帯』(1955年)という先住民紀行のような一般的エッセイはもちろんのこと、『親族の基本構造』(1949年)という博士論文、そしてフランス構造主義の一金字塔でもあるだろう『野生の思考』(1962年)などの文化人類学的著作は、モルガンの『古代社会』やバッハオーフェンの『母権論』などとともに「先住民文化」や「部族社会」へ目を見開かせたという意味で、60年代ヒッピー・カルチャーの思想的バックボーンになったのではないかという仮説である。
きっと、こんなことを指摘するのはこの文章がはじめてだろうと自負するのだが、ネイティヴ・アメリカン(いわゆるインディアン)や南米インディオの部族的社会構造の研究が、20世紀の破壊と戦争の文明に背を向けたカウンター・カルチャーつまり現代文明の中の「族(トライブ)」たちの思想的よりどころになったのだろう、という考えだ。
そしてまた、ドラッグ・カルチャーでもあったこの世代は、その探求(クエスト)の果てにシャーマニズムや、チベタン死者の書といった経典までも見出したのであった。
いま、若い女性たちのファッションとして再認識されている「森ガール」たちが、どうかクロード・レヴィ=ストロース氏の著作を発見し、理論構築の一助として「野生」や「部族」に、出会いますように!
レヴィ=ストロース/100歳の慶賀→http://blog.goo.ne.jp/angura_1967/d/20081204
謹んでクロード・レヴィ=ストロース先生のご逝去をお悔やみ申し上げると共に、万感の想いを込めて感謝の念を捧げたいと存じます。
なぜにこの場をお借りするかと言えば、あなたの提示するその「仮説」に激しく同意するからです。
この極東アジアと呼ばれる一帯に、60年代から綿々と続く地下水脈の流れの源泉に、レヴィ=ストロース氏の世界観があることは、確かなことだろうと私も思います。
そして、その「仮説」は、「実証」という手続きを踏まえてはじめて証明されていくのだろうと思います。
これからの世代につなぐことが肝要です。
今日という日にこの文章を読みました。
100という数字のシンクロニシティ。
おめでとうございます。
それを踏み越えた先に、新しい世紀がはじまることでしょう。
津村喬は汚い口での69、卑猥な性具、肛門性交、生理の血飲みなどのSM調教で同棲相手の高野を
重度精神障害者にしてしまいました。
デブサイク津村喬の人権侵害性的搾取で洗脳瞑想セミナーの参加者たちも被害者になってきました。
「反差別」「地球の平和、世界平和」などとジャンクライター津村喬はくっちゃべってきましたが、
津村喬は無数の人々をハードSMプレイで虐待してきました。
売春芸者の子孫でしかない男娼の津村喬は遺伝子の呪いに衝き動かされて、キチガイ沙汰を繰り返す
のでしょうか。
1999年にはカルト集団のヒッピーたちと作った関西の気功の団体を追放されましたが、
「不品行」と天野泰司たちに非難されたからでした。
メディアを悪用して、悪銭を掻き集め、悪目立ちしてきた津村喬が警察に通報される日は
訪れるのでしょうか。
キミがこのボクの仮説に激しく同意してくれることに感謝します。でも、このボクの仮説を自ら実証する必要があるんだろうか?
21世紀のこの時代にレヴィ=ストロースの思想というか着眼点が必要のないものであれば、おそらく新たな21世紀の「部族」も必要ないでしょう。先住民やネイティヴ・アメリカンの智慧や宇宙観がエコポイントも生まない無意味なものであれば、先進国に都合のいい「エコ」には不要な認識でしょう。もっと言えば、先住民や少数民族の人々も必要のない存在になりかねません。ボクはそのことをも危惧するのです。
ボクらはこのことにたいしてどのような事実関係の確認ができるのですか?