風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

ロボットそのトリビア(その1)

2005-01-11 00:31:16 | トリビアな日々
irobot一昨年は、漫画作品の設定上、鉄腕アトムの生まれた年でそのバースディ(2003年4月7日)に合わせてTVアニメ『鉄腕アトム』も復活したということもあったのか、当時のアイボの爆発的人気もあったのか新聞各紙の元旦の別刷り特集には「ロボット」の話題が多かったと記憶するが、今年は1紙もなかったようだ。
しかし、昨年暮れに発表された本田技研工業の開発したヒューマノイド型ロボットが、走った(自力走行)というニュースには誰をもが、驚いたのではないだろうか?

昨年、2004年夏にはアイザック・アシモフ原作による『I,ROBOT』がハリウッドで製作され、公開もされた。映画の出来はともかくとして、このアシモフの『I,ROBOT』(翻訳『わたしはロボット』創元新社版、『われはロボット』『ロボットの時代』早川書房決定版)が、『鉄腕アトム』をも含めたロボットものにおおいなる影響を与えていることは、SFファン以外はあまり知らないことではないだろうか?
いや、それどころか現実のロボット工学の設計・開発者も知らず知らずのうちに、アシモフそして有能な編集者だったジョン・W・キャンベル・ジュニアのコンビによって作り出され、導かれた「ロボット三原則」という<掟>にひきずりこまれてしまうのだ。それらの一線にいる設計者が少年時代に夢見させられたと口々に絶賛する『鉄腕アトム』も、いわばこの「ロボット三原則」の上に構想された物語である。

戦後まもなく戦後児童漫画を牽引するように登場した手塚は、裕福な家に生まれたこともあって時代の制約の中で抜きん出た知識と、教養をもっていた。初期のリメイク作品にあるように、当時にあってドイツ表現主義の『メトロポリス』を鑑賞し、医学部にすすむ手塚はアメリカのSF作品の動向にも詳しかった。むしろ、当時の日本の中で、空想冒険小説を書いていたプロの作家はともかくとして、英語も読めた手塚は唯一のSFファンであり、コレクターでもあったようだ。『アメージング・ストーリーズ』誌などのアメリカ初期SF雑誌の個人コレクターはのちに、翻訳/評論家になる野田昌宏などがいるが、作家(実作者)ではなかった。

ちなみに、日本では本格的にSFというジャンルが確立するのは1960年の『SFマガジン』の創刊をまってからだし、それまでは『ヒッチコック・マガジン』や『宝石』などのミステリー誌の中に肩身狭く掲載されるくらいであった(早川書房の新書判のSFシリーズは1950年代なかばからの刊行)。もちろん、H・G・ウェルズ、ジュール・ヴェルヌなどの影響をうけた「空想科学(冒険)小説」は、「ユートピア小説」もしくは「反(アンチ)ユートピア小説」などとともに明治時代くらいからあったことはあった。矢野龍渓や押川春浪などがそれで、その流れは昭和初期の海野十三などに引き継がれる。

ロボット工学の話に戻る。
その、現代のロボット工学さえもとりこにしてしまう<掟>、「ロボット三原則」とは以下のようなものである(テキストとしては、どこにも掲載されていない私訳です)。

ロボット工学三原則

第一条、ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、手をこまねいて人間が危害を受けるのを黙視していてはならない。

第二条、ロボットは人間の命令に服従しなければならない。ただし、第一条に反する命令はその限りではない。

第三条、ロボットは自ら自衛しなければならない。ただしそれは第一条、第二条に違反しない限りにおいてである。

(「ロボット工学教書」 第56版 西暦2058年)

(この項つづく)