今回のフィリピン訪問では、修道会の仕事の他に、もう一つ大切なミッションがありました。
それは、山形聖マリア幼稚園の子どもたちが貯めてきた「やさしさプレゼント」のお金を、マニラのトンド地区にあるHome of Joy(喜びの家)という神の愛の宣教者会(マザー・テレサの修道会)が運営する子どもの施設に寄付することでした。
('House of Joy'とばかり記憶していましたが、'Home of Joy'が正しい名称でした。)
この家では、経済的な理由で親が面倒をみることのできない病気の子どもたちや、親のいない乳児・幼児を預かってお世話をしています。
現在54名の子どもたちがいて、12人のシスターがいるそうです。
他に、多くのボランティアの方々が働いています。
Home of Joyの向かい側には「死を待つ人の家」があります。
ここでは、路上生活者の中でも高齢や病気の方々のお世話をし、天国へのよりよい旅立ちのお手伝いをしています。
ぼくは神学校(司祭になるための修業)時代(1993-97年)をフィリピンで過ごしましたが、週に一回1年だけ、ここにボランティアで来ていました。
マザー・テレサに初めて出会わせていただいたのもこの場所で(1986年12月)、大変思い出深い所です。
今回、死を待つ人の家で奉仕する日本人のシスター・ドロテアにお目にかかり、いろいろと話をすることができました。
シスターは、子どもたちの「やさしさプレゼント」のことを聞いて、とても感動してくださいました。
「やさしさプレゼント」とは、幼稚園の子どもたちが月に一度、お弁当の代わりに自分の握りこぶし一個大のおにぎりだけを持ってきて、空腹を体験しながら貧しい人を大切にされたイエスのみ心に思いを馳せ、がまんしたおかずの分を貯金してクリスマスにイエスにプレゼントする、というものです。
保護者の皆さんのご理解とご協力のもと、子どもたちもその趣旨をよく理解して、毎月心を込めて貯めてきました。
ホーム・オブ・ジョイのシスター・ジェディディアも、たいへん素晴しいことだと称えてくださいました。
そして、43,500ペソ(日本円で約11万円分)をお渡ししてきました。
今回、山形聖マリア幼稚園の子どもたちからのミッションを果たすことができたことを感謝し、また子どもたちに、その喜びを分かち合っていきたいと思います。
上の写真は、Home of Joyの入り口。
Home of Joyの建物。内部は撮影禁止でしたので、写真はありません。
庭の木が以前よりもずいぶん大きくなって、よい日影ができていました。
シスターの修道院の聖堂。シンプルです。
'I Thirst'の文字が十字架の脇に見えます。これはイエスが十字架上で言われた「わたしは渇く」との言葉ですが、マザーがとても大切にされたメッセージです。
ホーム・オブ・ジョイ前のタユーマン通り。正面を走るのはジープニーという乗り合い自動車。
向かい側には学校とTayuman教会があります。そして、その間を奥に行くと死を待つ人の家があります。
これが死を待つ人の家の入り口を入ったところ。
ここでぼくはマザー・テレサに出会いました。
それは1986年のこと。当時ぼくは26歳でした。
ここでぼくはマザーに、あなたは司祭になる、と言われたのでした。
まだ洗礼も受ける前のことでした。
1995年、マニラで司祭になる勉強をしていたぼくは、再びマザーに出会い、司祭になることを報告したのでした。
ちなみに、今回活躍したのがリコーのTheta(シータ)Sという、360°全天球がワンプッシュで撮れるというカメラでした。
今回載せた写真は、その画像の一部を切り出したものです。
それは、山形聖マリア幼稚園の子どもたちが貯めてきた「やさしさプレゼント」のお金を、マニラのトンド地区にあるHome of Joy(喜びの家)という神の愛の宣教者会(マザー・テレサの修道会)が運営する子どもの施設に寄付することでした。
('House of Joy'とばかり記憶していましたが、'Home of Joy'が正しい名称でした。)
この家では、経済的な理由で親が面倒をみることのできない病気の子どもたちや、親のいない乳児・幼児を預かってお世話をしています。
現在54名の子どもたちがいて、12人のシスターがいるそうです。
他に、多くのボランティアの方々が働いています。
Home of Joyの向かい側には「死を待つ人の家」があります。
ここでは、路上生活者の中でも高齢や病気の方々のお世話をし、天国へのよりよい旅立ちのお手伝いをしています。
ぼくは神学校(司祭になるための修業)時代(1993-97年)をフィリピンで過ごしましたが、週に一回1年だけ、ここにボランティアで来ていました。
マザー・テレサに初めて出会わせていただいたのもこの場所で(1986年12月)、大変思い出深い所です。
今回、死を待つ人の家で奉仕する日本人のシスター・ドロテアにお目にかかり、いろいろと話をすることができました。
シスターは、子どもたちの「やさしさプレゼント」のことを聞いて、とても感動してくださいました。
「やさしさプレゼント」とは、幼稚園の子どもたちが月に一度、お弁当の代わりに自分の握りこぶし一個大のおにぎりだけを持ってきて、空腹を体験しながら貧しい人を大切にされたイエスのみ心に思いを馳せ、がまんしたおかずの分を貯金してクリスマスにイエスにプレゼントする、というものです。
保護者の皆さんのご理解とご協力のもと、子どもたちもその趣旨をよく理解して、毎月心を込めて貯めてきました。
ホーム・オブ・ジョイのシスター・ジェディディアも、たいへん素晴しいことだと称えてくださいました。
そして、43,500ペソ(日本円で約11万円分)をお渡ししてきました。
今回、山形聖マリア幼稚園の子どもたちからのミッションを果たすことができたことを感謝し、また子どもたちに、その喜びを分かち合っていきたいと思います。
上の写真は、Home of Joyの入り口。
Home of Joyの建物。内部は撮影禁止でしたので、写真はありません。
庭の木が以前よりもずいぶん大きくなって、よい日影ができていました。
シスターの修道院の聖堂。シンプルです。
'I Thirst'の文字が十字架の脇に見えます。これはイエスが十字架上で言われた「わたしは渇く」との言葉ですが、マザーがとても大切にされたメッセージです。
ホーム・オブ・ジョイ前のタユーマン通り。正面を走るのはジープニーという乗り合い自動車。
向かい側には学校とTayuman教会があります。そして、その間を奥に行くと死を待つ人の家があります。
これが死を待つ人の家の入り口を入ったところ。
ここでぼくはマザー・テレサに出会いました。
それは1986年のこと。当時ぼくは26歳でした。
ここでぼくはマザーに、あなたは司祭になる、と言われたのでした。
まだ洗礼も受ける前のことでした。
1995年、マニラで司祭になる勉強をしていたぼくは、再びマザーに出会い、司祭になることを報告したのでした。
ちなみに、今回活躍したのがリコーのTheta(シータ)Sという、360°全天球がワンプッシュで撮れるというカメラでした。
今回載せた写真は、その画像の一部を切り出したものです。