みちあき神父のふぉと日記

カトリック教会の司祭です。日記のテーマは「がんばらない―Take it easy―」。ここで、ひと息ついてくださいね。

『死の神秘』 2

2006-03-10 12:23:45 | Everyday is special
お待たせしました。それではさっそく、前回の続きです。

4つの福音書の中でいちばん古いのはマルコ(西暦65年頃)ですが、マタイとルカ(85年頃)は、マルコを元に同じような観点から書かれたのもですので、それら3つの福音書のことを共観福音書と呼んでいます。
ヨハネ(95年頃)は、もちろんマルコの福音書のことは知っていたはずですが、別な形で深められていきます。

それで、福音書の中でいちばん古い形を残しているマルコに焦点を当ててみましょう。

マルコでのイエスさまの最後のことばは「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」でした。
が、注目すべきは、周りに居合わせた人々のうちには「そら、エリヤを呼んでいる」「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」という者がいた、ということです。

なぜ、エリヤを呼んでいると聞こえたのか。

そこで、当時のパレスチナ一帯で話されていた日常語がアラム語(もしくはアラマイ語ともいう)であったということに注目してみます。イエスさまも、このことばで日常を過ごし、宣教しました。ちなみにヘブライ語は、当時祭司や律法の専門家くらいにしかわからず、典礼(詩編)のことばとしては一般の人々も歌えたと思いますが、現在の私たちにとってのラテン語といっしょで、歌えても意味まではしっかりとわからなかったことでしょう。つまり、死語であったわけです。

「エロイ・・・」はアラム語です。そこから、エリヤとは聞こえてきません。
とすると、周りの人が「エリヤを呼んでいる」と聞こえたことが説明できません。

そこで、ある聖書学者たちは、当時人々がしゃべっていたアラム語でエリヤを呼んでみたらどうなるのか、と考えたわけです。

Elia' ta' (「エリヤよ、来てください」)

最後の「タ」は来てくださいとの意味で、「マラナ・タ」(「主よ、来てください」)の「タ」と同じです(1コリント16:22)。

ところが、このアラム語のElia' ta'の区切り方を変えると、ヘブライ語では、発音はほぼ同じですが、まったく意味の違うことばになります。

Eli' atta (「私の神は、あなたです」)

それで、イエスさまは十字架上でこちらのことば、Eli' attaと言われていたのではないか。そして、周りのヘブライ語を理解できない人々(おそらくは兵士たち)は、アラム語でエリヤを呼んでいるように聞こえたのではないか、というわけです。

さて、このEli' attaは、(旧約)聖書の中にはたったの6回しかでききません。しかも、そのうちの5回は詩編です。すなわち、詩編22、31、63、118、140。

以下、レオン=デュフール神父著の『死の神秘』から引用します(218-219頁)。
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詩編22はまさしく「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という句で始まる叫びであって、心底からほとばしり出たこの叫びの第一部は、「わたしの母の胎内より、わたしの神は、あなたです」で終わる。詩編31は、ルカにあるイエスの祈り、「わたしの霊をみ手にゆだねます」の源であるが、この詩はまた、共謀して詩人を殺そうとする敵たちを前にして、「しかし主よ、わたしはあなたにより頼み、わたしは言います。わたしの神、それはあなたです」と宣言している。詩編63は、ヨハネ19・28の伝えるイエスの祈り、「わたしは渇く」のもととなったとも言えるが、その最初の句は、「神よ、わたしの神、それはあなたです。暁より、わたしはあなたを望み、わたしの魂はあなたに渇いています」である。このように、「わたしの神、それはあなたです」という叫びが、それぞれマルコ、ルカ、ヨハネの基調をなす三つの詩編の中に、まさしく見いだされるのである。
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こうして、イエスさまの最後のことばは、Eli' atta、すなわち「わたしの神は、あなたです」であったのではないか、ということができるのです。

これはあくまでも仮説です。が、「これが真相かもしれない」とレオン=デュフール神父は書きます。
では、それぞれの福音書が、そのEli' attaをどうして別々の詩編の中に見いだしていったのか。簡単に言ってしまえば、それぞれの福音記者が、十字架上の最期のイエスさまのお姿を伝えようとしたときに、それぞれの書かれた時代や場所、どんな読者が対象になったかによって、もっともふさわしい詩編を選んだのだ、ということです。

いずれにしても、イエスさまが十字架上で最後に発せられたのは、「わたしの神は、あなたです」という、もっとも簡単ではあるけれども、もっとも深い信頼の宣言である詩編の叫びだったのです。


いかがでしたか?
ちょっと長くなりましたが、十字架の神秘の黙想の小さな手助けになればと思います。

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6 コメント

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講義の続き、有難うございました (SEKIYAMA@Colorado)
2006-03-11 02:54:40
聖書というのは読み込めば読み込むほど、深い意味を手繰り寄せていくことができるんですねえ。現代の私達にとっては「仮説」としてのみ真実に近づくことが可能ですが、聖書の中に網の目のように張り巡らされた「真実に近づくための手掛かり」は神様の賜物であり信仰に生きた人達が現代人に残してくれた贈り物だと感じます。



僕も自分なりに深く深く聖書を読み込んでみたいものです。何年も前に始めたギリシャ語・ヘブライ語・ラテン語の勉強は最近止まったままですけど。少年老い易く学成り難しって感じです。
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SEKIYAMAさんへ (みちあき)
2006-03-11 22:25:35
コメントをありがとうございました。



聖書の奥深さが2000年近く経った今でも変わらないということに、いつも驚かされます。

どれだけ、聖書学の研究が進んでも、その深さに変わることはないのでしょうね。



ぼくは語学が苦手なので、なかなか原文にまで親しむことができませんが、最近はとてもよい手引書の類があるので、助けられています。

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おもしろい! (まめこです。)
2006-03-12 20:02:11
大変おもしろく読ませていただきました。ありがとうございます♪ レオン神父さまってどんな方なのでしょう、ますます興味が湧いてきました。きっと柔軟な発想をされる方なのでしょうね。本は図書館で予約できましたよ! 読むのが待ち遠しいです。
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まめこさんへ (みちあき)
2006-03-12 22:10:59
コメント、毎度どうもありがとうございます。



本の予約ができたとのこと、よかったです。



この本の原題は『死を前にしたイエスとパウロ』です。

4百何十ページもある大作です。

内容は少しとっつきにくいですが、読み応えがあります。

ぼくも、もう何年も読んでいないので、もう一度しっかりと読んでみたいと思っているところです。



同じ本でも、読む年代や時期、自分を取り巻く環境によって違ってくるものですしね。

聖書も、同じと思います。



ところで、レオン神父は、三省堂から翻訳が出ている『聖書思想事典』の編集委員長でもあります。

これも有名な本ですから、図書館にあると思いますよ。
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『死の神秘』借りてきました (百合庵)
2006-03-14 12:53:41
桜の開花も間近になりました。みちあき神父様の梅のお写真も綺麗に開花しています。「梅は咲い~たか?桜はまだかいな~?」なんて口ずさんでいます♪



みちあき神父様の仰ったとおり、住まいの区立図書館に『死の神秘』在庫しており、昨日貸し出しました。(この辺のことは図書館勤務のため手慣れたものです♪勤務地じゃないけどね)神父様のブログをコピーして読み返しながら、本も読み進めるつもりです。読み終えましたら感想を送らせて頂きますね。



昨日まで石田衣良の『40』を読んでました。というより、借りてきて一気に読んでしまいました。「40代応援歌」ですので、同世代の人には励みになると思いました。個人的には私が日頃使っている図書館が小説中に出てきたこと。また『14』と同様、月島・銀座が舞台で小説が展開していくこと。ご当地ネタ満載で、嬉しかったです。単純明快なストーリーですが、元気をもらえることは間違いなしです。(どういうわけか、ホリエモンを連想させるIT社長の没落物語から始まり、週刊誌掲載された昨年1月の時点の予言がみごと当たったといえます)

先月だったか、NHKでエーちゃんファン(40代オヤジ達)の人生応援歌を重松清がレポーターでやってましたが、(他の世代からは異論はあるでしょうが)40代は社会の要の世代だと思います。ここが元気じゃないと日本が立ちゆかなくなってしまいます。バブル崩壊後の10数年の低迷状態後の薄日が差し始めた今だからこそ、自らを叱咤激励する小説やTV番組ができるんでしょうね。(このブログが「がんばらない」というテーマなのにどうしてもこう書いてしまう困った私です。先日胃痛で胃カメラを飲みました…トホホ)



『死の神秘』を読みながら、深い瞑想と静かな心を取り戻したいと思っております。



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百合庵さんへ (みちあき)
2006-03-15 09:16:35
40代応援歌、どうもありがとうございます!



この年代は、とてもビミョーな年代だとは思っていました。

まだ若いと思っていながら、もうそうは言ってられないものがあって、責任も重くなっていきますし、いろんなものが混在していて、とても曖昧な年代かなと感じています。

女性も男性も身体の変化が見えてくる年代ですしね。



「動脈硬化危険因子あり」として「加齢」という言葉が、健康診断の結果に載ったときは「へぇ」と思ってしまいました(「1へぇ」獲得・・・でもそんなこと、いちいち言われなくてもいいよって感じ)。



石田衣良の『40』、ぼくも読んでみたいです。
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