吉祥寺の井の頭公園の入口に1962年にその店は誕生した。
それから約40年美味しいダイヤモンドのような一杯のコーヒーを淹れ続けた珈琲専門店『もか』のコーヒー職人の標交紀(しめぎゆきとし)さんがご逝去された。
標(しめぎ)さんは、わが国のコーヒーの自家焙煎の草分け的存在だった方である。享年67歳であった。
1970年代、井の頭公園の入り口にそのお店をみつけた。当時通学路で井の頭公園内を通って学園に通っていたので、ほぼ毎日のようにお店の前を通過していた。
高校時代は敷居が高く、大人のコーヒー店という趣であった。
大学時代から社会人になって、ちょっと背伸びをして、コーヒー道を探求すべく通っていた。しかし、その当時としては、一杯のコーヒーとしては、破格の値段であった。
でも、その値段以上に、一杯のコーヒーに対する情熱はその値段以上であったのが、標さんであった。アディナブレンドがお気に入りだった。写真は最後のラベルになってしまった。
以来、僕のコーヒーの味覚、嗅覚はここを原点として判断しているといっても過言ではない。
最近は自家焙煎の豆しか販売していないと伺っていたが、先日井の頭公園を歩いているときに、同級生から亡くなったことをきいて、二度びっくりした次第である。
あの焙煎が強い、しかし滑らかな舌触りのコーヒーを二度と飲むことができないとは本当に残念です。
心よりご冥福をお祈りしております。
合掌
下記のリンク先の記事は先日しのぶ会の模様を伝える記事です。
吉祥寺 「もか」店主 コーヒー職人をしのぶ
それから約40年美味しいダイヤモンドのような一杯のコーヒーを淹れ続けた珈琲専門店『もか』のコーヒー職人の標交紀(しめぎゆきとし)さんがご逝去された。
標(しめぎ)さんは、わが国のコーヒーの自家焙煎の草分け的存在だった方である。享年67歳であった。
1970年代、井の頭公園の入り口にそのお店をみつけた。当時通学路で井の頭公園内を通って学園に通っていたので、ほぼ毎日のようにお店の前を通過していた。
高校時代は敷居が高く、大人のコーヒー店という趣であった。
大学時代から社会人になって、ちょっと背伸びをして、コーヒー道を探求すべく通っていた。しかし、その当時としては、一杯のコーヒーとしては、破格の値段であった。
でも、その値段以上に、一杯のコーヒーに対する情熱はその値段以上であったのが、標さんであった。アディナブレンドがお気に入りだった。写真は最後のラベルになってしまった。
以来、僕のコーヒーの味覚、嗅覚はここを原点として判断しているといっても過言ではない。
最近は自家焙煎の豆しか販売していないと伺っていたが、先日井の頭公園を歩いているときに、同級生から亡くなったことをきいて、二度びっくりした次第である。
あの焙煎が強い、しかし滑らかな舌触りのコーヒーを二度と飲むことができないとは本当に残念です。
心よりご冥福をお祈りしております。
合掌
下記のリンク先の記事は先日しのぶ会の模様を伝える記事です。
吉祥寺 「もか」店主 コーヒー職人をしのぶ