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問題解決ガイドのひとりごと。



ピーター・ファーディナンド・ドラッカーは1909年11月にオーストリア・ウイーンに生まれた。
小学校、中高一貫の進学校ギムナジュウム卒業までウイーンで過ごし、その後ドイツのハンブルグ大学に籍を置いたが、間もなくフランクフルト大学に移籍。フランクフルト大学では21歳で博士号をとった。
その頃からドイツは国家主義にはしり、ナチス政権下に嫌気がさしたドラッカーは1933年にロンドンへ、1937年にはアメリカに渡り大学で教えることになった。
その後、1943年にドラッカーが行ったGMの調査の結果が体系となり、マネージメントという概念をもたらしたと言われている。
戦後の復興を成し遂げた日本の企業経営者たちはドラッカーのマネージメントを学び、ドラッカーもまた日本を愛し、日本の経営の中に理想の姿を見ていたという相思相愛の関係にあった。

そのドラッカーの本の中に面白いエピソードがありますので紹介します。
ドラッカーがギムナジュウムで学んでいた時の宗教の先生の言葉だそうです。
「何をもって憶えられたいか」を考えなさいという教えです。
自分でもなれる者になる、あるいは自分でもできることによって、人に憶えられたいと思う。
すると一挙手一投足が、この「何をもって憶えられたいか」という夢によって変わってくるという。
こうして5年後、10年後には知らないうちにそのような自分に近づき、人生が変わり、仕事が変わるというものです。

さて私自身は「何によって憶えられたいか」という問いに何と答えようか?

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