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■ 川越の桜と甲州武田氏ゆかりのお寺

本日は午後から川越に行き、4月の寅薬師御開帳につかう御朱印帳を喜多院で仕込んできました。
花曇りで写真はいまいちでしたが、桜はほぼ満開でした。


【写真 上(左)】 喜多院の桜-1
【写真 下(右)】 喜多院の桜-2
喜多院は桜の名所で、それなりに人出はありました。ただ、新型コロナ禍の前に比べるとやはり寂しい感じです。


【写真 上(左)】 三芳野神社の桜
【写真 下(右)】 新河岸川の桜
新河岸川は川越氷川神社下あたりが桜の名所で、桜のトンネルができていました。


新河岸川のそばにある、甲州武田氏ゆかりの寺院にも詣でてきました。

■ 至誠山 成就院 眞行寺
川越市宮元町1-2
真宗大谷派(お東)
御本尊:阿弥陀如来
札所:小江戸川越古寺巡礼第15番
※真宗寺院につき、おそらく御朱印は不授与かと思います。



開基は武田信玄公の妹、眞行尼(八重姫)。
八重姫は戦乱のなかで若くして出家し、甲斐で真言古義の草庵を結んで成就院至誠眞行尼と号されたといいます。
信玄公の正室、三条の方の妹・如春尼は本願寺第11世・顕如上人の正室で、眞行尼はこの縁で一時石山本願寺に入られたとも伝わります。

寺伝(*)によると、甲斐に帰国後も戦乱はやまず、天文二十二年(1553年)眞行尼は戦乱を避け、武田一門の岩崎兵庫、若山主計を伴って上吉田村(東松山の北)に移住。川島虫塚に移られ、永禄二年(1559年)川越に入って草庵を開かれ、天正元年(1573年)至誠山 成就院 眞行寺を創建されました。

眞行尼が甲斐を出られた天文二十二年(1553年)は、晴信公、駿河の今川義元公、相模の北条氏康公の甲相駿三国同盟が結ばれる前年で、信玄公の妹君がこの時期にわざわざ他国の武州に入られた理由については、いろいろな説が展開されているようです。

眞行尼が川越で草庵を結ばれた永禄二年(1559年)は信玄公出家と同年、眞行寺創建の天正元年(1573年)は信玄公逝去の年で、信玄公とのふかいゆかりが感じられます。

天正十年(1582年)、第二世として武田勝頼公の次男靖清(幼名:靖千代、善西大師)が入られ、この時に本願寺末寺になったとされます。
天正十年は天目山の戦いで甲州武田氏が滅亡した年で、勝頼公には出家した男子が伝わるので、こちらが靖清(靖千代)かもしれません。

以来、武田ゆかりの者は川越を中心に街道沿いに落居したとされます。

山内はさほど広くはないですが、基壇の上に入母屋造銅板葺流れ向拝の端正な本堂。
向拝扉と大棟には、黄金色の武田菱(割り菱)が燦然と輝いていました。

*)寺伝:「平成 小江戸川越 古寺巡礼」(百瀬千又氏編纂)より


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【 BGM 】
■ ひらひら ひらら - ClariS

よくはわからんが、なにかと話題の多い女子2人組ユニット。
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