民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「桜もさよならも日本語」 その2の2 丸谷 才一

2015年12月20日 00時38分33秒 | 日本語について
 「桜もさよならも日本語」 丸谷 才一  新潮文庫 1989年(平成元年) 1986年刊行

 Ⅰ 国語教科書を読む  

 2、漢字配当表は廃止しよう その2

 あれこれ思案したあげくの結論は、いっそ思ひ切りよく「配当表」を廃止するのがいいといふことである。教育漢字881字と備考漢字115字、合わせて996字を、小学校六学年のうちでどこででも使つていいことにするのだ。
 この手でゆけば、まぜ書きや平仮名書きは消滅する。それに、わたしの見るところ、「配当表」への遠慮で無理に漢字を使つたり使はなかつたりするため、どんよりしてゐる文章がずいぶん多いのだが、これもいくらかましになるだろう。それでは転校生が別の教科書を習ふときに困るなどと言ひ立てる人がゐるかもしれないけれど、そんなのは些細なことだし、正しい文字づかいを教へたり生きのいい文章を読ませたりすることのほうがずつと大切である。事の軽重を見あやまつてはならない。第一、長沢の調べによると、国語以外の教科書は「配当表」にこだはらずに漢字を使つてゐるのださうだから、あれは官僚的な自己満足にすぎないのである。さういふものを後生大事にする必要はない。
 が、廃止にならないうちはどうすればいいか。答は簡単だ。「配当表」でまだ教へてならないことになつている教育漢字でも(それ以外でも)どんどん使つて、しかし仮名を振ればいい。たとへば「写真」のやうに。そして振り仮名つきの字は、まだ書けなくてもいいことにすればいい。大人だつて子供だつて、振り仮名つきで読めるだけの漢字、読めるが書けない漢字、読めるし書ける漢字、の三段階があるのは当たり前なのである。

「桜もさよならも日本語」 その2の1 丸谷 才一

2015年12月18日 00時12分16秒 | 日本語について
 「桜もさよならも日本語」 丸谷 才一  新潮文庫 1989年(平成元年) 1986年刊行

 Ⅰ 国語教科書を読む  

 2、漢字配当表は廃止しよう その1

 どの小学教科書でも同じことなのだが、ここでは教育出版『改訂小学国語』3上、『ニまいの写しんを見て』を例に取らう。この教材ではまづ、同じ街を歩いてゐる違ふ人々の写真二葉を色刷りで示してから、

 右の二まいの写しんについて、次のことをくらべて、ノートに書き出してみましょう。(中略)
 ノートに書き出したことをもとにして、二まいの写しんについてせつめいする文章を書いてみましょう。

と記してゐる。
 なぜ「二枚」と書かないのだらう。なぜ「写真」としないのだらう。なぜ「説明」ではないのか。世の中では漢字を使って書くのに。
 これは、「学年別漢字配当表」といふものがあつて、何学年ではこれだけの漢字を教へると決まつてゐるせいである。この表に当たつてみると、なるほど、「枚」は第六学年、「真」と「説」は第四学年にある。そこで、規則は守らなければならないから、「二まいの写しん」、「せつめい」とするわけだ。(「明」は二年生の分にあるが、「せつ明」はどうもをかしいと判断したのだらう。
 だが、このまぜ書きや仮名書きはいかにも醜悪だし、何よりも日本語の慣行に反してゐる。今の日本では「フォトグラフ」の訳語は「写真」と書くのが普通であり、正式である。「写しん」や「しゃ真」は正しい文字づかひではない。教科書は「配当表」に縛られて、間違つた文字づかひを教へてゐるのである。

 中略

 「配当表」に問題があることは、これまでも指摘されてゐる。漢学者、長沢規矩也は、「学年配当は、当時の文部省のお役人O氏の根拠のない資料に基づいて、省外の迎合的委員がこれをうのみにしたことに始まる。O氏は漢字についての有識者ではない」と言ふ。

「桜もさよならも日本語」 その1 丸谷 才一

2015年12月16日 00時16分24秒 | 日本語について
 「桜もさよならも日本語」 丸谷 才一  新潮文庫 1989年(平成元年) 1986年刊行

 Ⅰ 国語教科書を読む  

 1、分かち書きはやめよう 

 十何年ぶりかで、小学校、中学校の国語教科書をまた一通り読んでみた。(前回の読後感『日本語のために』所収『国語教科書批判』。)すこしはよくなつた面もある。相変わらずの面もある。新しく生じた欠点もある。それに、批判する側のわたしが、前に見すごしたのに今度は気にかかることもある。さういふ問題点を書きつけてみよう。

 中略

 相変わらずのほうはいろいろあるが、一つだけあげれば、外国人名の表記に当たつて、世間の慣行どほりにナカグロ(・)を用ゐず、いまだに文部省内の書式にオベッカを使って二本棒(=)を入れてゐるのには驚いた。つまり、アンリ=ファーブルとかダニエル=デフォーとかやってゐるのである。国語教科書編纂の目的は、子供たちが将来、文部官僚になつたとき、まごつかないやうにすることなのだろうか。
 中略

 前には見すごして今度は気にかかったことの一つは、小学校一年、二年の教科書がすべて、分かち書きで書かれてゐることである。

 むかし むかし、ある ところに、おじいさんと おばあさんが いました。

 (中略)しかしわたしは、読ませるときは分かち書き、書かせるときはつづけ書きといふ二本立てはをかしいと思ふ。日本語は普通、分かち書きはしないのだから、その慣例を最初から教えるのが正しい。はじめに変な書き方を見せる法はなかろう。

恋愛 「新明解国語辞典」

2015年12月14日 00時11分41秒 | 日本語について
 「新明解国語辞典」

 「恋愛」一組の男女が相互に相手にひかれ、ほかの異性をさしおいて最高の存在としてとらえ、毎日会わないではいられなくなること。(初版発行 1972年、第二版発行 1974年)

 「恋愛」特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来ることなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる・(まれにかなえられて歓喜する)状態。(第三版発行 1981年、第四版発行 1989年)

 「恋愛」特定の異性に特別の愛情をいだき、高揚した気分で、二人だけで一緒に居たい、精神的な一体感を分かち合いたい、出来るなら肉体的な一体感も得たいと願いながら、常にはかなえられないで、やるせない思いに駆られたり、まれにかなえられて歓喜したりする状態に身を置くこと。(第五版発行 1997年)

 「恋愛」特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔い無いと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと。(第六版 2005年、第七版 2012年)

「穏やかな死に医療はいらない」 その1 萬田 緑平

2015年12月12日 00時17分33秒 | 健康・老いについて
 「穏やかな死に医療はいらない」 その1 萬田 緑平  朝日新聞出版 2013年

 はじめに

 前略

 外科医として病院に勤めていた頃、僕は患者さんの病気を治すべく奮闘してきました。手術や抗がん剤治療、再発治療、緩和治療、救急医療・・・。見事治癒した患者さんもいましたが、もう治る見込みのない方や、自然な死が近づいているお年寄りにまで、同じような治療をしてきました。病状が悪化したり死が近づいて食欲がなくなったら点滴をし、呼吸が苦しくなったら酸素吸入をしました。口から食事がとれなくなったとき、胃に穴をあけてチュウブを入れ、直接栄養を流し込むことを「胃ろう」と言いますが、病院の胃ろう造営を一手に引き受けていた時期があり、たくさんの胃ろうを造りました。ほとんどが、もう意識がはっきりしない、自分が何をされているかもわからないお年寄りでした。
 当時の病院ではそれが当たり前であり、僕は自分の役割を果たすべく一生懸命働いていました。しかし、今振り返ると、患者さんを苦しめていただけだったかもしれないと思います。

 今の僕は、人生の終わりを迎えようとしている患者さんには、「治療をやめたっていいんですよ。もう無理しなくてもいいんですよ」と伝えます。ご家族には、「この治療が本当にご本人のためになるのか、よく考えてくださいね」と言うでしょう。混濁する意識のなかで治療という苦しい戦いを一ヶ月、二ヶ月と続けることよりも、戦いから降りてゆっくり過ごす時間を作ってあげたいのです。治療をやめたら、すぐに亡くなってしまう方もいます。でもその最後は、つらく無駄な治療を続けていた方よりずっと穏やかです。そしてなかには、治療をやめてからも医師が予測した余命を超えて充実した時間を過ごせる方もいるのです。

 もちろん、それでも患者さんやご家族が治療を続けたいというのなら、それを否定しません。でも僕は、治療をやめたほうがずっと穏やかで、人間らしい最後を迎えられることを知っています。
 穏やかな死に、医療はいりません。
 そして穏やかな死を迎える場所として、自宅ほどふさわしい場所はありません。病院は病気との戦いの場です。今の日本において、病院で穏やかに死ぬことはかないません。

 萬田 緑平(まんだ りょくへい)
1964年生まれ。群馬大学医学部卒業。群馬大学付属病院第一外科に所属し、外科医として手術、抗がん剤治療、胃ろう造設などを行うなかで終末ケアに関心を持つ。2008年、医師3人、看護師7人から成る「緩和ケア診療所・いっぽ」の医師となり、「自宅で最後まで幸せに生き抜くお手伝い」を続けている。