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「穏やかな死に医療はいらない」 その1 萬田 緑平

2015年12月12日 00時17分33秒 | 健康・老いについて
 「穏やかな死に医療はいらない」 その1 萬田 緑平  朝日新聞出版 2013年

 はじめに

 前略

 外科医として病院に勤めていた頃、僕は患者さんの病気を治すべく奮闘してきました。手術や抗がん剤治療、再発治療、緩和治療、救急医療・・・。見事治癒した患者さんもいましたが、もう治る見込みのない方や、自然な死が近づいているお年寄りにまで、同じような治療をしてきました。病状が悪化したり死が近づいて食欲がなくなったら点滴をし、呼吸が苦しくなったら酸素吸入をしました。口から食事がとれなくなったとき、胃に穴をあけてチュウブを入れ、直接栄養を流し込むことを「胃ろう」と言いますが、病院の胃ろう造営を一手に引き受けていた時期があり、たくさんの胃ろうを造りました。ほとんどが、もう意識がはっきりしない、自分が何をされているかもわからないお年寄りでした。
 当時の病院ではそれが当たり前であり、僕は自分の役割を果たすべく一生懸命働いていました。しかし、今振り返ると、患者さんを苦しめていただけだったかもしれないと思います。

 今の僕は、人生の終わりを迎えようとしている患者さんには、「治療をやめたっていいんですよ。もう無理しなくてもいいんですよ」と伝えます。ご家族には、「この治療が本当にご本人のためになるのか、よく考えてくださいね」と言うでしょう。混濁する意識のなかで治療という苦しい戦いを一ヶ月、二ヶ月と続けることよりも、戦いから降りてゆっくり過ごす時間を作ってあげたいのです。治療をやめたら、すぐに亡くなってしまう方もいます。でもその最後は、つらく無駄な治療を続けていた方よりずっと穏やかです。そしてなかには、治療をやめてからも医師が予測した余命を超えて充実した時間を過ごせる方もいるのです。

 もちろん、それでも患者さんやご家族が治療を続けたいというのなら、それを否定しません。でも僕は、治療をやめたほうがずっと穏やかで、人間らしい最後を迎えられることを知っています。
 穏やかな死に、医療はいりません。
 そして穏やかな死を迎える場所として、自宅ほどふさわしい場所はありません。病院は病気との戦いの場です。今の日本において、病院で穏やかに死ぬことはかないません。

 萬田 緑平(まんだ りょくへい)
1964年生まれ。群馬大学医学部卒業。群馬大学付属病院第一外科に所属し、外科医として手術、抗がん剤治療、胃ろう造設などを行うなかで終末ケアに関心を持つ。2008年、医師3人、看護師7人から成る「緩和ケア診療所・いっぽ」の医師となり、「自宅で最後まで幸せに生き抜くお手伝い」を続けている。