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「桜もさよならも日本語」 その3 丸谷 才一 

2015年12月22日 00時57分09秒 | 日本語について
 「桜もさよならも日本語」 丸谷 才一  新潮文庫 1989年(平成元年) 1986年刊行

 Ⅰ 国語教科書を読む  

 3、完全な五十音図を教へよう

 (前略)教科書に完全な五十音図が載ってゐないのは不思議である。これこそは日本語の基礎なのに。
 もちろんどの教科書も、一、二年用の巻末には、『ひらがな五十音』とか『カタカナノヒョウ』とか載せてゐるが、ヤ行とワ行がをかしい。

 や (い) ゆ (え) よ
 わ (い)(う)(え) を
 ヤ (イ) ユ (ヱ) ヨ
 ワ (イ)(ウ)(エ) ヲ

となつてゐるのだ。

 や い ゆ え よ
 わ ゐ う ゑ を
 ヤ イ ユ エ ヨ
 ワ ヰ ウ ヱ ヲ

でなければならないのに、さういふ本式の五十音図は教へてゐない。(中略)

 日本語は五十音図に従って動いてゐるし、あるいは、その動き具合をきれいに秩序づけたのが五十音図であつた。
 さういふ大事なものなのに、最初に嘘を教へるのは間違ってゐる。まづ贋の五十音図をかかげ、いつかそのうち正しい五十音図を教へようといふのは、二度手間である。そんな面倒なことはよすほうがいい。さしあたり使はない仮名がはいつてゐるものを小学一年の本に出すのは不親切だ、なんて反対する人がゐるかもしれないが、わたしは今のやり方は親切ごかしにさへなつてゐないと思ふ。

 中略

 しかし一つだけ、正しい五十音図をかかげてゐる小学一年用の教科書がある。安野光雅、大岡信(まこと)、谷川俊太郎、松井直(ただし)の『にほんご』(福音館書店)である。これは文部省学習指導要領にとらわれない、小学校一年生のための国語教科書を想定したもので、つまり実物をつきつけての教科書批判である。上質の日本語と言ひ、きれいな絵と言ひ、美点はおびただしいが、大きく紙面を使つた平仮名五十音図はその一つ。もちろんカツコなんかついてゐない。「いろんな いいかたをして あそぼう。しぜんに うたみたいに なってくるよ」とはじめに誘ひかける。そしてワ行の上には、(ゐ)(ゑ)は いまでは ふつう つかわない もじ。でも おぼえておこう」。