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「桜もさよならも日本語」 その2の1 丸谷 才一

2015年12月18日 00時12分16秒 | 日本語について
 「桜もさよならも日本語」 丸谷 才一  新潮文庫 1989年(平成元年) 1986年刊行

 Ⅰ 国語教科書を読む  

 2、漢字配当表は廃止しよう その1

 どの小学教科書でも同じことなのだが、ここでは教育出版『改訂小学国語』3上、『ニまいの写しんを見て』を例に取らう。この教材ではまづ、同じ街を歩いてゐる違ふ人々の写真二葉を色刷りで示してから、

 右の二まいの写しんについて、次のことをくらべて、ノートに書き出してみましょう。(中略)
 ノートに書き出したことをもとにして、二まいの写しんについてせつめいする文章を書いてみましょう。

と記してゐる。
 なぜ「二枚」と書かないのだらう。なぜ「写真」としないのだらう。なぜ「説明」ではないのか。世の中では漢字を使って書くのに。
 これは、「学年別漢字配当表」といふものがあつて、何学年ではこれだけの漢字を教へると決まつてゐるせいである。この表に当たつてみると、なるほど、「枚」は第六学年、「真」と「説」は第四学年にある。そこで、規則は守らなければならないから、「二まいの写しん」、「せつめい」とするわけだ。(「明」は二年生の分にあるが、「せつ明」はどうもをかしいと判断したのだらう。
 だが、このまぜ書きや仮名書きはいかにも醜悪だし、何よりも日本語の慣行に反してゐる。今の日本では「フォトグラフ」の訳語は「写真」と書くのが普通であり、正式である。「写しん」や「しゃ真」は正しい文字づかひではない。教科書は「配当表」に縛られて、間違つた文字づかひを教へてゐるのである。

 中略

 「配当表」に問題があることは、これまでも指摘されてゐる。漢学者、長沢規矩也は、「学年配当は、当時の文部省のお役人O氏の根拠のない資料に基づいて、省外の迎合的委員がこれをうのみにしたことに始まる。O氏は漢字についての有識者ではない」と言ふ。