「徒然草」 吉田兼好 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 角川ソフィア文庫 2002年
初めと終わりの美学――花は盛りに 第137段(その2) (「清貧の思想」中野孝次の中で紹介)
何事においても、最盛そのものではなく、最盛に向かう始めと最盛を過ぎた終わりとが味わい深いものなのだ。男女の恋愛においても、ただただ相思相愛で結ばれる仲だけが最高といえるだろうか。そんな仲だけではなく、相手と結ばれずに終わった辛さに悩んだり、相手の変心から婚約が破棄されたことを嘆き、長い夜を独り寝で明し、遠い雲の下にいる相手に思いをはせ、荒れ果てた住まいを相手と過ごした当時をしのんだりする態度こそ恋の真味を知るものといえよう。一点の曇りもなく輝きわたる満月を遥かに遠い天空のかなたに眺めるのよりも、明け方近くになって、待ちに待ってようやく出てきた月が、心が揺さぶるような青みがかった樹間から漏れるその月の光や、時折時雨を降らせる一群の雲に隠れている月のようすなどは最高に心に深くしみるものだ。また、椎柴や白樫などの、濡れたように艶のある木の葉の上に反射して、きらきら輝く月の光は体の奥までしみこむように感じられて、今ここに、この月の風情をわかる友がいたらなあと、友のいる都が恋しくなってくる。
初めと終わりの美学――花は盛りに 第137段(その2) (「清貧の思想」中野孝次の中で紹介)
何事においても、最盛そのものではなく、最盛に向かう始めと最盛を過ぎた終わりとが味わい深いものなのだ。男女の恋愛においても、ただただ相思相愛で結ばれる仲だけが最高といえるだろうか。そんな仲だけではなく、相手と結ばれずに終わった辛さに悩んだり、相手の変心から婚約が破棄されたことを嘆き、長い夜を独り寝で明し、遠い雲の下にいる相手に思いをはせ、荒れ果てた住まいを相手と過ごした当時をしのんだりする態度こそ恋の真味を知るものといえよう。一点の曇りもなく輝きわたる満月を遥かに遠い天空のかなたに眺めるのよりも、明け方近くになって、待ちに待ってようやく出てきた月が、心が揺さぶるような青みがかった樹間から漏れるその月の光や、時折時雨を降らせる一群の雲に隠れている月のようすなどは最高に心に深くしみるものだ。また、椎柴や白樫などの、濡れたように艶のある木の葉の上に反射して、きらきら輝く月の光は体の奥までしみこむように感じられて、今ここに、この月の風情をわかる友がいたらなあと、友のいる都が恋しくなってくる。
枕草子より徒然草のほうが断然面白く、しっくりきて好きです。
あと、厳密にいうと随筆ではないですが、芭蕉とか去来の作品も好きでした。
おそらく、中高時代にやっていた茶道の影響だと思います。
akiraさん、どうして『徒然草』を読み始めたのでしょうか?
よかったら教えてください。
エッセイを書くようになって、
三大随筆と言われている「枕草子」「方丈記」「徒然草」が気になり、
読んでみて、一番しっくりしたのが「徒然草」でした。
出版物がそんなになかったころ、ちょっと文章を書くような人なら、
誰もが「徒然草」(その他の古典を含めて)
を読んでいたんでしょうね。
その頃の人なら、みんなが常識として知っていたことを、私は知らないんじゃないか、
それが古典を読まなきゃと思ったきっかけです。
「世はさだめなきこそいみじけれ」でしたっけ?
兼好の無常観がすごく好きでした。
書いていたら読みたくなってきました!
個人的にはakiraさんが個展に興味を持ってくださったことを、とても嬉しく思います。
江戸時代の国学者、本居宣長(もとおりのりなが)が書いた『玉勝間(たまかつま)』という随筆があるのですが、こちらもぜひ読んでみてください。
原文だとちょっと難しいかもしれないので、わかりやすく書いてあるものを参考にしてもいいかもしれません。
『徒然草』についても触れていたと記憶しています。
興味はあったけれど、敷居が高くて近づけないでいました。
今年の四月から、「源氏物語を読む会」という講座
(毎月一回、全六回)を受けることにしたので、
本居宣長について聞いてみようと思います。