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民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「徒然草」 第137段 花は盛りに(その1) 

2016年02月06日 00時03分03秒 | 古典
 「徒然草」 吉田兼好 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 角川ソフィア文庫 2002年

 初めと終わりの美学――花は盛りに 第137段(その1) (「清貧の思想」中野孝次の中で紹介)

 桜の花は満開だけを、月は満月だけを見て楽しむべきものだろうか。いや、そうとは限らない。物事の最盛だけを鑑賞することがすべてではないのだ。

 たとえば、月を覆い隠している雨に向かって、見えない月を思いこがれ、あるいは、簾を垂れた部屋に閉じこもり、春が過ぎていく外のようすを目で確かめることもなく想像しながら過ごすのも、やはり、優れた味わい方であって、心に響くような風流な味わいを感じさせる。

 今にも花開きそうな蕾の桜の梢や、桜の花びらが落ちて散り敷いている庭などは、とりわけ見る価値が多い。作歌の事情を記した詞書も、「花見に出かけたところ、もうすでに花が散ってしまっていて見られなかった」とか、「用事があって花見に出かけず、花を見なかった」などと書いてあるのは、「実際に花を見て」と書くのに、劣っているだろうか。そんなことはない。

 確かに、桜が散るのや、月が西に沈むのを名残惜しむ美意識の伝統はよくわかる。けれども、まるで美というものに無関心な人間に限って、「この枝も、あの枝も散ってしまった。盛りを過ぎたから、もう見る価値はない」と、短絡的に決めつけるようだ。

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