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危ない番組

2005-11-28 12:36:59 | 生活・教育・文化・社会
 わたしはテレビのバラエティー番組を見ないようにしているが、22日(火)にたまたま通りすがりのように番組の一こまを見た。フジテレビ系の7:00からの「ビューティ・コロシアム」だった。男性に好意を持った女性が、自分の容姿では相手にしてくれそうもないので、ある種の魅力的に変身して確信をつかんで接触する、という内容であった。
 男性に好意を持つうんぬんは、物語性を作って視聴者をひきつけるしかけであって、ようは美容整形を中心にして変身願望を満たし、それの変わりようにみんなが驚き、本人も悦にいるということなのだ。

 家のリフォーム番組みがあるようだが、わたしはついに人間をリニュアールさせることが一般化しつつあるところまで来てしまったか、という驚きをもったのだった。
 ある種の身だしなみを整えるためのヘアースタイル、メーキャップ、ファッションは、一般的なことであり分かる。さらに美容と称する体の痩身にも、関心事になってきている。男性であれば毛髪のことがある。
 さらにある種の美を求めることとして、次にあることはこの番組の中核である美容整形ということだ。

 すでに美容整形は特殊なことではなくなり、テレビに顔を出す人でそれらしい人を目にすることは珍しいことではない。それを見分ける分かりやすいポイントは、微笑んだときにほほの筋肉が、他の筋肉と連動して自然に動いているかどうか、ということである。ほほが固まったようになって自然に動かない場合は、美容整形をしている可能性が高い、とわたしは見ている。美容整形した場合の顔は、微笑は表現しやすいが、他の複雑で多様な感情表現ができなくなる。
 ところで韓国では大統領が顔の整形(目を二重にした)をするような社会だが、日本もそのような道を歩みつつあるということか。この番組は美容整形の一般化を後押しし、拍車をかける動因の役割を果たすのではないか。
 美容整形で変身することによって、自分に確信を持ちハリが出てくるという側面だけが伝えられている。ところがメーキャップと違ってもとに戻れないために、変身した自分を演じる心がついていけなくて、自分ってなんだろうと違和感に悩む場合もあるのである。
 バラエティー番組は、世間の欲望や大衆文化を反映されているものだ。影響力の強いテレビが、どのように時代の空気をとらえ、さらに時代を先んじようとしているかを読みとれる。

 人間の外見はある印象を与えるものだ。その外見を読み取ろうとすると、その人の内面が外見ににじみ出て人間全体の印象となるのである。この内面こそ、人間理解に重要なのである。内面が変わると顔を中心にしたしぐさやなど、にじみ出るものが変わるのである。わたしたちはその、にじみ出るものこそ読み取らなければならないのではないのではないか。
 昔は「見たくれだけで人間を判断してはいけない」ということがあったが、「一目ぼれ」でのコミュニケーションが多くなっているようである。人間どうしのつながりは、関係に介在する文化(仕事や趣味でもよい)が結びつけるものだ。それでないと関係を維持するのは困難になるだろう。

 このコラムにもふれたことのある『人は見た目が9割』(新潮新書)が、10万部の売り上げという広告がでている。この本はノンバーバル(非言語的言語)の入門書としているが、はたしてそうか疑問の本だと、わたしは読んだ。ノンバーバルは外見やしぐさなどの行為で表現される内面を読み解くことを言うのである。ところがこの本は、外見の意味していることを、マンガや演劇の素材を中心に書いている。これはノンバーバルとではなく美容整形のように、見たくれをどう感じるかという内容である。
 小泉劇場型選挙で、パフォーマンスあるいはノンバーバルの人間に対する影響の強さを思い知らされたことだ。それを読み解く能力(リテラシー literacy)が、わたしたちに問われているのである。そういう意味では、「ビユーティ・コロシアム」を喜んで見てたり『人は見た目が9割』が10万も売れている場合ではないのだが。
 新潮社は『バカの壁』といい、時代の空気を読み取って型破れのインパクトのあるタイトルをつける。それにみんなが惑わされて飛びつく、ということのようだ。新書が、アカデミズムの世界を分かりやすくといった本でなく、雑誌と変わらない消費する性格の本になってきている。


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