藤原愛子の日常茶飯事

前稲城市議・藤原愛子のもろもろな日々

忖度でんでん

2017年04月18日 | 雑感


 ここ数日、自分の通信をつくっています。

 作っているのですが、合間に新聞見て憤ったりしています。


 私の通信は、いまだに「手書き」。

 B4サイズの裏表で、カットも自分で「手書き」の白黒です。

 まるで昔のガリ版刷りみたいな様相ですが、ええ、一応ワードで原稿を打って、それを手書きして作っています。

 
 ほかの議員の通信などは、もちろんみなさん立派な印刷物ですが。これこれをしました。どこどこに行きましたと、カラーの写真もステキに入っておられる方もおりますね。


 一方、私のはとにかくモノクロの手書き手作り感一杯で、写真は、無い。字体と言えば、女子高校生みたいなカワイイ字です。

 以前息子の高校受験の時に、保護者が書く書類があって私が記入して息子に持たせたら、先生が「藤原君、これは親御さんに書いてもらってね。」と言われたそうで、息子が「それは母が書きました。」と答えたら、先生がちょっと固まったみたい。


 私は、手書きの文字に、いわゆる機械の字には無い、なんというか<言霊>があるように思えてならないのです。

 なんというか<体温>が伝えられそうな気がするのです。


 そんな思いがあるので、ずっと手書きで作っており、私の通信を読んでくださった方々からのお手紙やお電話をソッと待っているのです。


 するすると通信を書かなくてはいけないと思いつつ、新聞をみたり、本を読んだり・・・。


 今、読んでいる本ですが、奥野修司さんが書かれた、「魂でもいいから、そばにいて」-3.11後の霊体験を聞くー(新潮社)です。

 東日本大震災で、家族や親族を亡くされた方たちが体験した、不思議な事柄が書かれています。

  
 悲しみや不安の中で体験した霊的なことを「話しても信じてもらえないだろう」と半ば封印している人たちから、その記憶を記録とした話です。

 
 私は、自分の体験から、この本に書かれていることを信じます。

 世の中の森羅万象なんて、科学で解明できてることはほんのひとにぎり。

 
 自分という存在が、それこそあらゆるもの、目に見えるもの見えないものいろんなものやいろんな人に支えられ助けられているのだということを忘れ、過ぎ去った時間とやってくる時間が繋がっているんだということを頭においておかないと、きっと、なにかやらかしてしまうのでは、と思います。



 今。私も忘れてしまうことが多いけれど、どうも始めからそのようなことは年頭にないエライ人たちが多いのでは、と感じることが起きていますね。


 「風雪に耐えて」(!)わが世の春なのでしょうか。外交努力ではなく国民に<北>の脅威を理由にして軍事態勢の強化は止めていただきたい。

 能力、というより人としての資質を疑う大臣が複数、チカラで法律をつくるのは止めていただきたい。


 受験生の皆さん、漢字の読み方、テストに出ますよ。「忖度」。 そして漢字を書きなさいと出ますよ。「でんでん」。
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