藤原愛子の日常茶飯事

前稲城市議・藤原愛子のもろもろな日々

選ぶ、って結構難しい

2021年06月12日 | 雑感

 わが家の小さな庭に植木屋さんが来て、こざっぱりとしてくれました。

 私も美容院で、こざっぱりとしてまいりました。

 今私は、自分の人生において初めて「人を選ぶ」作業をしております。

 施設職員希望者の「面接」です。

 考えてみれば、結婚相手も「選んだ」わけでなく、なんとなく「巡り合った」感じだし。

 子どもはどうもこちらを「選んで」きたようだし。

 とにかく、初めての面接官体験をしている中で思ったのは、まあ当たり前ですけれど、
「いろんな人がいるなあ~」ということです。

 自分が描いている「こんな職員が良いなっ!」という勝手な想いはもちろん勝手な話で、
こちらが「良いな」と思ってもあちらが「お断り」というケースもありますし、まだ面接中なのにもう「出会えました!」とご自分一人で来ることが決まったような発言をされる人も。

 何回か行っていると、こちら側の面接役の人の性格もわかってきます。

 同じ施設の職員、というより上司の人たちなんですが、もう面接を数限りなくこなされきたんですね。質問内容や応募者がお帰りになった後の発言で、その人の意外な一面がわかる。

 仕事ではよく接しているので、もう性格はわかっているつもりでも、違う角度から見ると今まで見えなかった一面が浮き出てきます。
いやあ・・・本当にいろんな人がいて、なかなか面白いものですね。

 先に書きましたが、いままで「人を選ぶ」ということを真面目にしてこなかった私です。

 どちらかというと「選んでもらう」ほうでした。
就職のための面接も、議員選挙も他人様に「選んでいただく」ことで前に進めたわけです。

 ありがたい話ですね。

 こうしてみると、選ぶ作業よりも選んでもらう作業のほうが楽だったな、と思っています。

 例えば選挙を例にとると、とにかく自分が稲城市をどのようなまちにしたいか、市民の皆さんのためにどう働きたいか、を伝えたり、今稲城でこんなことが起きてますよ、このようにしようとしてますよ、で、問題がここにありますよ、などを素直にまんま伝えていって、「そうか、ならこいつに働いてもらうか」と、票を入れていただく。
 
 ところが、こちらが選ぶほうになると、紙の情報と短時間の面接で判断を迫られる。
私なんぞがちゃんと見極められるだろうか、と思うとやたら肩が凝るのです。
他人様の人生を前に進めるという責任の重大さに、やたら首が痛くなるのです。

 数をこなせばそのうち慣れるよ、と言う方もいるけれど、私は、慣れて不遜な態度を身に着けるようなことだけはしないぞ!と肝に銘じているところであります。
 
コメント
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