藤原愛子の日常茶飯事

前稲城市議・藤原愛子のもろもろな日々

ミュージカルへのお誘い

2009年10月29日 | 日々の活動
 昔むかし、私は役者志望でした。
 
 役者になれず、フツウの会社員、福祉施設の職員、主婦、アニメ作成バイト・・・と、変遷して、環境活動を始め、そんなこんなで今に至っておりますが、「稲城の歴史を演ずる会」というのがあって、稲城でも芝居をやらせていただいたりしました。

 子どもの頃は、それなりに可愛く、ある下校時に正門前に黒塗りの車。なかの人間が、ランドセルしょった子ども達をきょろきょろみていました。私はその時10歳の少女(おや、どなた?今笑い声が)
 「あ、君きみ!(私のこと)う~ん可愛いねえ!(誰?この人)帽子も可愛い!」と、なにやら車の中で、複数のスーツが紙を見たり私を見たり。
 「チョット横むいてくれる?う~んいいね!」私を上から下までジロジロ見て、又複数で何か話している。
 「五年生位、かな?」みたいなことをきいた後、
 「チョット笑ってみてくれる?」
けげんな顔をしていた私、純粋無垢故に、にっこりしました。
私の前歯の虫歯に入れた細い金がキラリ!と光った(らしい)とたん、
 「あ!・・もういいや、さようなら!」と、車は走り去りました。

 今思います。
あの時虫歯じゃなかったら、吉永小百合さんか栗原小巻さんあたりと競演する人生が待っていたかもしれないと・・・。

 それからもスカウトの話がありますが、それは又の機会にして、ミュージカルの話を。

 昨年の五月頃の日記に書いてあると思いますが、今年も憲法ミュージカルをやります。いえいえ、私は出ませんが実効委員の端っこなんです。

 昨年は「ロラ・マシン」という実在従軍慰安婦の方をモデルにした作品でした。
100人の子どもから高齢者まで、車椅子の方も入る<素人集団>が初めましてと集まって、練習に練習を重ね「この人達、本当のプロじゃないの!?」と思う素晴らしい舞台でした。私感動して泣きました。

 今年もオリジナル作品で、
「ムツゴロウ・ラプソディ」です。
 諫早湾の干拓事業で、人も湾に住む生き物も命に関わる変化を受けました。
「有明海の子宮」といわれた諫早湾が「死の海」となっていって10年以上が経った今、その現状を語り唄い踊ります。

 いや、活字では表せない素晴らしさなんです。難しい話じゃあ・・・と思う方もいるかもしれませんが、ぜんぜん、そんなことないんです、舞台が美しくて。

 11月15日(日)
 パルテノン多摩で、三時開場・四時開演 です。
 一般 2500円(当日2800円)
 高大学生 2000円(当日2200円)
 中学生以下1500円(当日も同額)  保育あります。

 ほんと、お薦めいたします。
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委員会で視察・山口広島は

2009年10月27日 | 日々の活動
 10月20~22日まで、福祉文教委員会で視察研修に行ってきました。

 今年度の委員会の調査事項は、「高齢者施策」

 と言う訳で、山口県・防府市と山口市の<夢のみずうみ村>と、
       広島県・尾道市の御調総合病院へ。

 山口県の二箇所は、同じデイ・サービスをやっている法人で、防府市が<海沿い>山口市が<山沿い>にある、一見、工場みたいな建物。

 そこで朝からデイ・サービスに来る御高齢の方々約100人は、朝入り口で、今日自分が何をやりたいかを自分で決めるのです。

 メニューはよりどりみどりで、たとえば「プール」「木工」「花札」「料理」中にはなんの意味か解らないのもあって、「ポパイ」=「筋力アップ」 「金魚」=「腰の運動」なんて具合。施設内通貨の「ユーメ」があって、参加費を払います。反対に、血圧はかるともらえたり、輪投げで入った点だけ「ユーメ」がもらえたり・・・。

 施設の中は入り口の両側に、まるでリサイクル家具屋ばりにいろんなタンスがずらりと並んでいます。来た方は、自分の引き出しに私物を入れて、ボードに書いてある自分の名前に一日の時間割メニューを張って、そう食器も一人ひとり違うもので自分で出し入れ。

 つまり、何でも自分で出来ることをしないと、誰もやってくれないのです。職員さんは勿論いますが「はいはい今日は皆で体操ね」なんてせずに、要所要所にいるけど、皆さんもう勝手気ままの一日。なかには「何もしない」なんてメニューもある。廊下は曲がってたり坂だったり、階段の上には大きな字幕・・「骨粗しょう症に勝訴」だって!皆さんそこを上がり下りしています。

 お世辞にも美しい建物ではありませんが、なんと活気に溢れた「デイ」なんでしょうか。個人の尊厳と意志を尊重した日常となっておりました。


 広島県尾道市の御調総合病院は、合併前は御調町病院で、全国的に有名な所です。
なんで有名かというと、介護保険制度が出来る前から、高齢者医療は、「保険・福祉・医療」の連携が必要との信念で、システムを作り上げたからです。
 病院長の意志が具体化して、在宅訪問医療システム・リハビリ・デイ・特養ホームとグループホーム・認知症ホームなど、一環した施設を病院に併設した場所と、少しはなれていますが、まとまった場所に整備しています。
 いわば介護制度のほうが、後追いというところでしょうか。

 
 二つのケースを視て、如何に稲城に活かすか・・・ですが、稲城には他市から視察が沢山来るその目的は、「介護制度先進都市・稲城」を学びになんです。
 じゃ何で、その稲城からわざわざ遠いとこ行くのよ!もういいじゃないのすすんでるなら!・・・と言われるでしょうね。

 私、意地悪なのかも。

 私が考えているのは、稲城でも山口でも広島でも。「その場所に来ない、あるいは行けない人達」がいらっしゃるでしょ。その人達を如何にすべきか、という課題なんです。
 勿論、稲城でも、もっともっと充実した「デイ・サービス」を考えること。
保健・福祉・医療が連携しなければならないことは必要で、視察で学んだことを稲城にあてはめて考えることはやるのですが、それにしても、その網目からこぼれてしまっている方達の、不安や不満の受け入れ先の情報が流れず、最終的に孤独死などということはなんとか防ぎたいのです。
 
 やはり、何かを考えたり決めたりする時は、青梅マラソンじゃないですが、最終ランナー・最も立場が弱いとか後ろになって隠れてしまいそうな人を忘れてはならないと思うんです。情に溺れるとかじゃなくてね。

 いやあ~それにしても、年のせい?視察先のホテルの枕、頭になじむのに、時間がかかるようになっちゃいました!


 






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さみしいよね

2009年10月19日 | その他
 同い年の幼馴染が亡くなりました。まだまだ現役で活躍できる年に病に侵され、ずいぶん頑張ったけど、遂に別の場所へ行ってしまいました。

 さみしいよね。

 お通夜に集まった仲間は15人くらいでしょうか。仕事や何かの都合で時間がずれたりで来れなかったのをあわせると20人以上の同級生が、うなだれています。
 小学校からの集まりが定期的にあるというのも珍しいかもしれませんね。
優秀なおぼっちゃんの彼のお通夜に、泣き虫坊主やいたずら坊主、おとなし少女に姉御肌少女なんかが年齢重ねた顔で来て、思い出話。

 「そう言えば、お前体どうだ?」とかの会話になって、主たる内容は自分の健康状態と親の介護のことになり、「そうだな、お互い健康に気を付けていこうな。」との励ましあいとなる。

 みんな、毎日をまじめに生きていて、仕事・介護・趣味と、フル回転している中で、同じ年の友が逝くことによって、自らの健康維持の大切さに気がつかされるのでした。

 今度の同期会は、60才の時ですが、実行委員長が天国に行ってしまったのでなんとか連絡とりながら、残ったみんなでやることになるわね。
 「それまで生きていような。」が合言葉。
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演歌みたいでええんか?!

2009年10月08日 | 雑感
 台風18号が日本列島を切り裂きながら去っていきました。

 台風とは無関係でしょうが、ちょっと体調がいまいちで、本日は寝坊をしてました。きっと、新しい神経の萌芽による乱れだろうと、勝手に思っています。
 でも、日常の仕事は休めない。

 そこで、少し元気になってきたのをより回復すべく、ちょっと雑感を・・・。

 私は演歌が嫌いではありません。
 時々は、演歌をくちずさみながら、料理したりもしています。

 演歌によくあるパターンは、
 
  別れた人が忘れられない。
  女の人は、色白痩せ気味。我慢強くて優しくて、抱きしめると折れそうな人。 ・・・なんですが、どうして、色の黒い足の太い二重アゴではいけないのか。
「そりゃ絵にならんだろ!」といわれるかもしれませんが、今じゃ抱きしめると折れそうなのは、男性に多いですな。

 演歌の世界はそれで良い。でも、毎日の生活は、是非、耐え忍ぶとか、泣いて待つ、のでは無く、声をあげて欲しいです。または、一歩進んで欲しい。
それで、もし、耐え忍んでいそうな人や、泣いている人を見かけたら、是非、声をかけて欲しいです。一人では踏み出せない人には、手を貸してあげる。

 八月の選挙では、一人一人の票が政権の交代を実現させました。民主党がどうとか自民党がどうかはここでは言いませんが、間違いなく小さな声が結集した結果が大きな変化をもたらしたのです。
 困っていることや思っていることを自分の内にとどめておかず、声にだすことで、変化が生まれると思うのです。
 すぐに解決する事ばかりでは有りませんが、そして、頼るだけではいけませんが、少なくとも黙って耐えているだけより良いです。
 黙って耐えているうちに、誰にも抱きしめられないのに、折れてしまわないように、ね。
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げたばきヘルパーは何をはいても良い

2009年10月07日 | 日々の活動
 先日の3日に行ないました、会派の「公開学習会」は、お蔭様で大変多くの方のご参加を頂きまして、充実した会となりました!
 お忙しい中、ご参加いただきました皆様に、感謝を申しあげます。有り難うございました!

 新潟県との境に位置する、長野県栄村は今、約2300人位・高齢化率46%になっているそうです。その村で昨年まで村長をされていた高橋さんは、81歳という年齢にも関わらず、張りのある声で、なんだか懐かしい訛りも混じる話し方で、栄村で実践された「住民の声を聴いて村の生活にあった政策を行なう」例の数々を語られました。

 国の補助金をもらって道を作ろうとすれば、基準に従った工事内容でまっすぐな道をつくらねばならない。あそこの石垣を壊しあそこの木を引っこ抜く。そんな道より、一軒一軒が雪が降っても外に出られる道こそ必要。曲がっていようが狭かろうが大して問題ない。
 そこで、地区の住民で必要な道をどこにどう作れば良いか、皆で決めて、そのように村が作る。そうしたら、暮らしに即した道が、国の補助金を貰って作る五分の一の金額でできた。

 田んぼの改修も、国の基準では、平地の考えしかないけれど、栄村は<棚田>。国の補助金無しで、使いやすい田を皆で考え、大型機械では無く、小回りの効く機械を皆で使う。国は全国一律の基準でしか考えないが、あてはまらない地方は沢山あるんです。と。

 そして、<げたばきヘルパー>さん。

 介護保険制度ができて、栄村にもコムスンさんがやって来て、どんな所にも即ヘルパーが行けます。と言うけれど、40キロ先に一軒。しかも雪崩がおきやすい道を通って行って帰れるかどうか。
 そんな村に必要なのは、「隣に住んでるヘルパーさん」
 村の予算で、100人以上の村の人達に講習を受けてもらい、ヘルパーさんになってもらって働いている。「下駄でもサンダルでもなに履いてもいいんだけど」

 
 その場所独自の「ooらしいまちをつくる」と、言うのは簡単だけれど、それは、個性的な橋やモニュメントを作るのではなくて、そこに住んでいる人達が、安全で、安心して暮らしをしていられる、ここに住んで良かったとおもえるまちをつくることなんだと思います。それは高橋前村長もおっしゃっていて、ああ、やっぱりそうなんだ、と、改めて確信しました。

 どこそこの市と比べてナントかが優れている、とか、全国で一番だとか、それを全部否定する訳ではありませんが、住民の方達の意見を尊重して、何が課題か、解決することは何かを把握して、他のまちの良い例に学びながら、現場の声を聴き、多くの人達で共に考え策を見つけていくという作業を積んでいけば、おのずと暮らしやすいまちになるのではないでしょうか。そして、そのことは、第三者が<何番だ>なんて決めるもんではなくて、住んでいる人達が感じるものなんだ、と、私は思います。
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