さて、「失うのは簡単。取り戻すのは大変」なものは?
恋人の愛・・・仕事上の信頼・・・貯金・・・若さ・・・
うんうん、いっぱいありますな。
ここで申し上げたいのは、「緑豊かな環境」なんです。
私の住んでいる稲城市は、多摩丘陵が残り、多摩川・三沢川という一級河川がある所。
日本六大妙見の一つという由緒正しい妙見寺・大賀蓮が咲く高勝寺などもある、都心からわずか30分なのに緑豊かなところです。
でもね。
近頃その緑が切られて開発されて、住宅になってしまうケースがあちこちにある。南山だけではなく。
この調子でいったら、ほんと、水と緑を謳ってる稲城市なのに、看板に偽りあり、になってしまうよ。
今度、南武線の稲城長沼駅近辺に、「ガンダム」のでっかいのが立つらしい。
ガンダムフアンは嬉々として訪れるかも。
同じく南武線の矢野口駅には、「いなぎなしのすけ」が時計の隣に座ってる。
可愛いから、一緒に写真撮ってる人もいる。
それはそれで良いかもしれない。
でも、それだけでは、ダメよね。
どんな街にしたいのか。
どんな街ならよいのか。
なにを大切にすべきなのか。
なにをしてはいけないのか。
しっかり考えた街作りをしないと、中途半端な、どこにでもある街になってしまったり、脈絡のない不便な街になってしまう危険性もある。
インディアンのホピ族の話を以前もしましたが、ホピ族の思考の基本は、「百年先を視野に入れる」ということだそうです。
私はそれに、「百年前を思い出す」という視点もいれたらもっとすごいな、と思います。
わずか七十年前の戦争で365万人の日本人が亡くなり、無数の外国人が亡くなった。
そのことを忘れて今又、集団的自衛権で戦争参加を良しとしようとしている。
まったくその神経がわからない。
わずか三年で原発の恐ろしさを忘れ、再稼動のみならず新設も言い出すような、そんないいかげんなことは論外です。
今、若い人達が近隣諸国との関係を危惧する国の意見に賛意を示し、集団的自衛権の正当性を述べていたりしている記事を見ます。
目には目を、では無く、それこそ平和憲法を持つ日本はその趣旨に則り、平和外交を根気よくすべきと思います。
私たち母親は、戦争に参加させるために子どもを産んだのではありません。
稲城の緑が減ってきて、なんだか空気が違ってきちゃった気がして、このままどんどんいったらイヤだな、と感じるのと同時に、このままどんどんきな臭くなったらイヤだな。