もうみなさんご存じでしょうが、日本人の人質お二人が殺害されてしまった以降、気のせいか、「待ってました!」とニッポン丸が、「積極的平和」という方向に向かって舵を切りましたね。
「積極的平和」という文字なのに、危機にさらされる度合いが高くなった「ききてきにほん」と読めるのは、私だけでしょうか。
首相の施政方針で頻繁に使われた「改革」も、今まで積み上げてきた大切なことさえ無視する「ほうかい」と読んでしまう私は、ひねくれているのでしょうか。
困ります。
呼吸が浅くなる感じがしてます。
トマ・ピケティさんを持ち出すまでもなく、今の日本でやっとこ生活している人たちの本質的な原因も掴まずに、女性重視だ正社員制度だ活力を高める政策だ日本を取り戻すんだと、声高に述べる。
福島が忘れられていく、と危機感を持つのは、日本の政治を担っているエライ人たちが、まるで忘れてしまっているようなところから出てくる感情かもしれません。
取り戻すっていったい誰が、何を取り戻すのか、をきちんと示せないのは、もしかして、自分たちの権力を取り戻すという行為だけで終始するんではカッコ悪いから言ってるだけかしら、とさえ疑ってしまいます。
苦しんでいる人。悲しみに身を引き裂かれそうな人。
「あなたの気持ちはわかります」と言っても、とても全部はわからないのだと思うけれど、少なくとも、<わかろうとする>という行為は重要だと思うのです。
分ろうとする。その人の気持ちに沿おうとする。
それが無きゃ、のっぺらぼうの上滑りなことしかできない、と私は思うんです。
嫌な予測は、これから先、当たらないほうがいいな・・・。