九月の半ばのことで、少し前の話になりますが、夫が<陸前高田市>に支援に行きました。
八月には夫婦で南三陸にいきましたが、夫は今回一週間、名簿作成の支援。
私、思った。
人と人が触れ合う時、必ずお互い影響しあうもんだなって。
あれ、いまごろそんなことかいな、と言われてしまいますな。
夫の話です。
複数の家族を訪問したようですが、中に、高齢のご夫婦で奥様が視覚障害の方。奥様が外出している先で地震がおきて、津波が来た。必死で近くの木にすがりついて流されずに済んだけれど、体が動かない。そこに奥さんを探し回っていた夫さんがやっと発見してくれて、なんと90歳の夫さんが奥さんの固まった両手を木から引き剥がし、「どう連れて帰ったかわからない」けれど、家に帰ったそうです。
家は壊れ、仮設住宅に移ったというご夫婦は、夫の訪問をとても喜んでくれて、<おみやげ>をくれました。
以前に他のおばあちゃんから、「柿の種」のお菓子を貰ってきた夫。今度は、一本だけ残った、あの「奇跡の松」のお友達、倒れてしまった松でつくった、<木のおふだ>を頂いてきました。
他のご家族も、訪問すると、どんな目にあったか、今どんな暮らしをしているか、体の中からあふれるように話される方が多かったそうです。
それを聴きながら居場所の確認をとりつづけてきた夫は、沢山の経験や想いを全身に浴びてきたせいか、精神が疲弊しているようにみえました。
今度はその話を私が聴いて、少しだけ夫は楽になったんじゃないかな。だとすると、被災された方達も、夫に話すことによって、少しだけ楽になってくれていると良いんだけど。
いまだ、被災地はまるで復旧していないと言っても過言ではありません。
なんでかって言うと、昨日見たスライドで気がついたのです。
昨日、聴覚障害者協会の主催で、震災の報告と稲城での取り組みについての集まりがあり、私も参加させてもらったんですが、その時に、昨年の五月に東北の状況を撮ったスライドを見せてもらいましたの。
そうしたら、私たち夫婦が行った、<南三陸町>の様子があったんですが、五月の町から、単に<生活被災物>(がれき)をどかしただけの風景が今年の八月の風景だったんです。比べてみてよくわかりました。
まだまだ長い長い取り組みになります。心の復旧は一生だと思いますが、なんらかの形で関わっていくようにいたしましょうよ。