藤原愛子の日常茶飯事

前稲城市議・藤原愛子のもろもろな日々

今の仕事は、ですね。

2011年10月31日 | 日々の活動
 
 あはは~(^。^)!

 私、先日、ろくじゅっさいになりました!

 「え?ろくじゅうって、こんなもんか」が素直な感想。

 なぜなら、唄にありましたよね・・・「こ~としろくうじゅ~のおじいさん~」て。

 え?「六十でお爺さん」と言ってたことに驚くのではなくて、「その歌はナニ?」と驚くほうでしょうか・・・。でも、私と同じくらいの年齢のかたならご存知ですよね。

 
 まあとにかく、一昔前に比べればほんと、60っていっても元気にみえるのではないでしょうか。


 その60になった私は今、ほぼ三十数年ぶりに「定時出勤」しております。

 前にも少し書きましたが、少しだけ仕事のこと、お話します。


 世田谷区の等々力にあります、社会福祉法人の臨時職員として、週に三日ないし四日、働いております。
 現在の仕事の内容は、自立支援の「B型」、精神障がいの人達の施設で、障がいを持つ人達と一緒に、法人が所有している<茶房>のメニューや皆で食べるお昼を作ったり、通信の印刷から配布、紙パックの加工なんぞをやっています。

 もともと、精神障がいの人達が、ケーキやクッキーなどを作るところなので、それらの品を販売したり、食事をしたりする<茶房>もつくったわけなのです。(このケーキやクッキー、一般のお店となんら遜色ナシ。障がい者が作ってるって知らない人ももちろん沢山おいでです。)

 一方、お店に出るのはちょっと重荷、という人達が、少しだけ作業したり休憩したりというところもあり、そこで私が働いています。

 ついでに、もっと働ける、という人は、「A型」(なんか変ね、AだのBだのって。制度上の呼び名で仕方ないけど)の場所で「クロネコメール」を配る作業をしています。

 
 稲城市にも、「わくわく」という施設がありますが、それこそ、「朝きちんと起きて来るのが課題」という人から、「あと少しで一般企業に就職できそう」という人までがいる場合、一箇所しかないのではなかなか厳しい。障がいに応じて動ける、あるいは提供できるような場所の設定が必要だと思います。

 今の職場には、多くの見学者がお見えになります。区外、都外、遠くからもいらっしゃるのは、同様の施設がまだ少なく、モデルケースが限られているからでしょう。特に精神に関しては、法律の整備そのものも他の障害(身体・知的)に大きく遅れ、やっと今、「三障害」と言われるようになりましたが、まだまだ不備な状態です。

 
 私は若いときに難病を患ったりした経験もあり、「障がいがある」という人達との距離をあまり感じないようです。
 むしろ、結婚前に勤めた施設では、それこそ<聾唖><知的><身体><精神>そしてそれらの重複など、いろんな障がいのある人達とゴヤゴヤと仕事をしたことにより、様々なことを学ばせてもらったと思っています。
 立派な大学をでた職員が、三日で辞めたり、長崎から出てきた職員が、半日でいなくなったり、なんてこともありましたっけ。障がいがあるっていわれている人達のほうが、よっぽどしっかりしてました。


 えらそうな、かっこつけたことを言わせて貰えば、

 「なんでも人生の栄養になるんだから、いろいろ学んで、他人様の役に立つような人間になろうっと。」ていうとこかな。

 ろくじゅうでも、がんばろっと。


 
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稲城市のイメキャラ、誕生したんですね。

2011年10月19日 | 雑感
 なんだか今日は涼しいぞ。

 つい先日は、アイスクリームとビールみたいな日でしたのにね。

 
 えー、広報いなぎの10月15日号をみましたら、

 「稲城市のイメージキャラクターが誕生しました!!」の記事が一面にありました。

 あの、ガンダムやヤッターワン(私、<ヤッターマン>だと思ってましたが)で有名な大河原氏と、マルチクリエーターの井上氏がつくられた、稲城のマークをつけた、梨(?)クン。元気に手足を振ってます。

 今、全国でキャラクターがつくられて、<ゆるキャラ>がいっぱい登場しています。

 それぞれ好みがあるわけですが、私的には、<ひこにゃん>(彦根市)や<こきんちゃん>(小金井市)なんか、可愛くて好きですね。
 JRに登場する伊達の<おにぎりまさむね>なんてのも、お土産に買っちゃうくらい好きだわね。

 稲城でかわいい!と思うのは、<なしぼうや>!あれ、梨なのに梨を持ってて、ニッコリ笑ってて、可愛い!

 稲城のキャラは、メカ梨(メカニックな梨の意ですが)ちゃんで子どもが喜びそう。


 それぞれに好みはあるとして・・・、。

 「稲城のイメージキャラ」って、「稲城の顔」になるのですよね。

 つまり、どんなまちなのか、どんなまちになろうとしているのか、どんなまちであって欲しいのかっていうのを、端的に表すものなんだと、私は思う。

 稲城には、「稲城市民憲章」というのがあります。

  一、太陽と緑を大切にし、土の香りのあるまちをつくりましょう。
  一、市民としての自覚をもち、助け合って住みよいまちをつくりましょう。
  一、年寄りや子どもをいたわり、若い力を育てるまちをつくりましょう。
  一、心身ともに健やかに、笑顔で働けるまちをつくりましょう。
  一、伝統を尊び、文化を高め、未来に展望がもてるまちをつくりましょう。

 と、いうものです。

 これ、昭和56年に制定されたものですが、いいですね。

 
 市民の皆さんはご存知だったかもしれませんが、私は、突然のイメージキャラの登場に、少々ビックリしました。
 市施行40周年記念にと、市のほうでだれかの発案でお願いして生まれたキャラクターなんだと思います。そうなんでしょ?

 少なくとも、お願いする際には、この「稲城市民憲章」にある、稲城のあるべき姿や、稲城の市民が求めている、稲城の将来像について、たとえば、稲城の一番好きなところが、緑と水のきれいなところ、だったり、これからも自然豊かでいて欲しい、というような回答が多かったことなど、お話されたんですよね。

 この<メカ梨ちゃん>(あ、勝手に呼んでます!)が稲城のイメージキャラになったからには、一過性のキャラではなく、稲城の太陽と緑の中で、元気といたわりの心を持った、キャラになってね。

 
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唐突に・・・出産のハナシです。

2011年10月10日 | 議会状況
 本日は「体育の日」。

 この日を迎えると思い出す。もう何十年も前のことです。


 私はこの日に、出産のため入院しました。それから二日間苦しむとはまるで予測しないで・・・。

 今はもうなくなってしまいましたが、世田谷にあった都立病院です。

 陣痛微弱でなかなか産まれない・・・。分娩室の隣の控え室で時々来る痛みにフッフッフ~と呼吸しながら、待機。

 夕食時になってカレーライスがでたんですけど、背中が痛くてもう立って背中さすりながら食べましたっけ。

 隣の部屋(分娩室)で、なにやら騒ぎが・・・。

 女性の声;「う~!いた~い!いた~い!いやだあ~!」

 医師(?)の声;「ガマンして!」

 女性の声;「いやだあ~!・・・もう、やめます!」

 医師(?)の声;「やめますって、アンタ、やめられないんだよ!」

 女性の声;「いや!もうやめます!」(と、なにやらごそごそと人が暴れる気配)

 医師(?)の声;「だめだよ!お~い!だれか、来て来て!」(どたどたと複数の足音)
 看護師(?)の声;「なにやってんの!ほら!」(ゴサゴサガタガタ!といろんな音)

 医師(?)の声;「ほら!おさえつけて!そっちのって!」

 この間、女性のわめくような声。・・・そのうち、

 あかちゃん誕生の産声が・・・!


 わ~すごいな・・・。いったい止めるってどうするつもりだったんだろ・・・などと、背中をさすりつつ考えてしまいました。

 私はその後、分娩台でまたまた一日、臨戦態勢のまま食事をとったりうめいたりして、48時間かけて娘を出産しました。

 逆子だったんですが、難産で足だけ出てから少し時間がかかり、その間、助産師さんも医師も、「男の子ですね」と言っていました。
 ところが、仮死状態で生まれた髪の毛ふさふさの子は、<女の子>。

 フシギなことがふたつありました。

 ひとつは、難産で私の意識が時々もうろうとするんですが、天井に、楽しい、アニメみたいなのが見えたんです。なにやらトランプの王様みたいのが、船に乗ってくりひろげるお話。お腹は痛いが、なんかおもしろい。

 もうひとつ。男の子だったのに、産まれたときは女の子。私のお腹に置いてきた<男の子用の部品>は、ちゃんと次の子についてきました。

 
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ノーモアフクシマ アイラヴフクシマ

2011年10月07日 | 雑感
先日、仕事帰りにスーパーに行きました。

 野菜売り場にブロッコリー。

 アメリカ産・・・の隣に福島産のものが、半額になっていました。

 迷わずに福島産を買いました。

 半額だから、も確かにあるけれど、福島産だったから。

 この間、新聞に、「ノーモアフクシマ・アイラヴフクシマ」と書いたTシャツを着て気持ちを表明している、という投書が載っていました。
 
 ステキだ!何気ないけれど、自分の考えを表明することは勇気もいります。


 このごろのテレビ、やれ画面がキレイだの録画がどうなのと機能向上はしているようだけど、番組はどう?

 震災も放射能も、もう過去のものになったのかと思うくらいの番組。

 今この時も、福島原発では必死の作業が続いていますし、避難場所に居る方々も大勢いらっしゃる。仮説住宅での孤独状態や、仕事がなくなり生活の目処が立たないなど、命に関わる問題が山積しています。

 私達は長い長い、支援をすること、情報を得ながら放射能に対峙することを続けていかなければならないのです。

 フクシマを避けるのではなく、フクシマを意識し、福島の人に思いをはせ、被災地が立ち上がることに微力でも力を出すと共に、放射能の恐怖とも向き合っていかなければならないのです。

 私は、福島産・茨城産を買っていきます。

 え?もちろん、半額じゃなくてもね。
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映画「里山っ子たち」を観た! ・・・なつかしい風景が・・・・。

2011年10月04日 | 日々の活動
 友人達が、<稲城でいい映画を観よう!>と、会をつくりました。

 その会初めての上映会に行きました。

 「里山っこたち」という、千葉県木更津にある保育園の記録映画なんですが、いやあ~、「ここ、稲城なんじゃないの?」と錯覚しちゃうような景色。

 園外保育として、里山で遊ぶ子ども達の活き活きとした活動ぶりと、成長が映しだされます。ケンカしたり仲直りしたり又泣いたりと、ああ、昔、自分自身もこんな感じで遊んだりしたな、とか、我が子もこんな所で遊ばせてもらったっけ、とか、自然に口元ゆるんでいました。

 たんぼで、蛙の卵をすくい、季節の移り変わりに伴ってオタマジャクシ、蛙となっていくように、子ども達が泥んこになったり、きゅうりをとったり、落ち葉のプールでころげたりと、自然の中でのびのびと大きくなっていく・・・。

 私の子ども達は、稲城の第三保育園とコマクサ幼稚園でお世話になって、向陽台小学校に進みました。その間、ほんとに山や川、たんぼや畑で、ある時は草まみれ、ある時は泥まみれで靴紛失しながら大きくなったんです。

 稲城でなら、まだできるよ。

 今、話に聞くと、満天の星が気持ち悪いとか、土に触れないとかいう子どもが多い、というけれど、いろんな子がもちろん居るわけで、全部泥だらけになれという訳じゃなくて、でも、子どもに自然を思い切り提供できたらいいな、と思う。

 稲城でなら、まだできるよ。

 久しぶりにホンワカした気分になったな。上映、ありがとうございました。
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