藤原愛子の日常茶飯事

前稲城市議・藤原愛子のもろもろな日々

悼む心は強制できない

2022年09月23日 | 雑感

 本日は「秋分の日」で日本中が祝日ですね。

 カレンダーの表示に左右されない日々を、夫婦ともに送っているので、祝日の実感がなかったです・・。

 そんな私も、お彼岸ということはわかっていて、昨日実家のお墓参りに行ってきました。

 不思議な事に、特に信心深いという私ではありませんが、お墓を掃除してお水と花を供えてお線香の香りの中で手を合わせると、何だか気持ちがスッキリ致します。心が落ち着く、といいますか。
 日頃いかにゴソゴソガサガサ生活しているかと思ったりします。

 そんな風に、彼岸にいってしまった家族や先祖を偲んで帰宅しましたら、携帯に電話が。

 議会でさんざんお世話になった、先輩の逝去の知らせでした。

 以前から体調を崩して入院されているとは聞いていましたが、まさか、と思ったのが最初でした。
 次に、何か悲しいというより、一つの時代が終わってしまったような感覚でした。

 ほぼ20年近く会派を組んで、新人の私にいろいろ教えてくれたり、怒られたり、アドバイスをくれたり。ヨチヨチしていた私を成長させてくれました。

 議員は本来、何をすべきか。 どうあるべきか。 基本の部分を学ばせてもらいました。

 今の議会はどうでしょうか。


 彼の逝去を知人たちに連絡すると、みんなが皆、お別れにいきたいと悼む気持ちを口にされました。

 そう。

 死を悼む気持ち。

 一度しかない別れの時を大切にしたい。 そんな気持ちは心の中から出てくるものです。

 決して強制するものではないし、嫌々行うなんてまったく上辺だけの所作でしかない。

 偶然国葬と時期が重なった、現職の先輩議員のお別れ会は、きっと彼の死を心から悼む人々が集うことになると思います。
 
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国民間では「家族葬」が増えている

2022年09月11日 | 雑感
  
 今日はアメリカで起こった、民間機が乗っ取られ超高層ビルに激突し、多くの犠牲者が出た、いわゆる「9.11」の日です。
 前にも書きましたが、私の中学の後輩も犠牲になりました。彼は一旦ビルの一階に降りたのですが、部下を案じてまた階段を上っていき、帰らぬ人となったと聞いています。

 大地震や津波、台風や事故、あるいは病気でも、失われた命への悲しみや口惜しさはそう簡単に忘れるものではありません。何十年経っても。
 存命していた時の姿や様子を想い出すと同時に、明日への命を絶たれた絶望は深い。

 まったく身近な方ではなかったけれど、この方が亡くなるということが想像できなかったのが
イギリスのエリザベス女王です。
 国葬にされるということでそりゃ当然だわ、と思いました。

こうなると何故か、元総理大臣の安倍晋三さんの国葬が、やけに(こんな言い方をしたらとても失礼ですが)薄っぺらく響くのは、私だけでしょうか。

 友人の中には、親御さんの葬儀を「この時期なので」と家族のみで行った、という人が複数おります。家族葬でも心を込めて亡き家族を送ったのです。

 安倍晋三さんの葬儀も、心を込めて自民党葬あたりにしたらどうでしょう。

国民の半数以上が反対している国葬を無理やり行うよりも、心からお悔やみ申し上げたい方たちで送るほうが、安倍さんもよいのでは?と思います。

 国葬にして、森友問題、加計問題、桜を見る会も、まとめて葬ろうとしているのではと、思ってしまう国民が大勢いると思います。私もそう考えてしまう。

 以前、安倍さんが森友学園の色々な疑惑が出た時に、「私の妻が関係しているのなら、私は議員を辞める云々」と発言しましたね。
 あの発言から、あらゆる隠蔽工作が始まったのではないでしょうか。次から次へと。

私は、その時と同じように、岸田総理が冷静な判断もしないうちに「国葬にする」と発言してしまったことから、あらゆる言い訳と横車が始まったのではと思っています。
 これでは下手をすると、統一教会と国会議員の根深い繋がりさえもまとめて葬ろうとしているのでは、とも考えてしまう。

なんて恐ろしい・・。清き一票の価値はどこに行ったのか。

 悲惨な状況で落命されたことは大変残念に思いますが、まだまだ安倍さんの存命中の事どもは追及していかなければ、更に政治不信が膨らんでいくと、私は感じています。

 

 
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