藤原愛子の日常茶飯事

前稲城市議・藤原愛子のもろもろな日々

少し背伸びが良いと思う

2024年03月31日 | 日々の活動
 三月も本日までですね。

 50年前(随分前になりましたわ!)のこの日、母と多摩川の土手でしたか、ヨモギを摘みに行きまして、大分摘んだ頃になんだか体調がヘンになり、その夜から発熱、延々一ヶ月にわたり高熱に苦しみました。40度の熱が出たり下がったりの繰り返しで一晩のうちに蒲団が汗で湿ってしまい、自力でとりかえるという日々。食欲も失せて、なんだか体が紙のようにぺらぺらになった感がありました。
 結局入院検査の結果、サルコイドーシスという難病であることが判明した次第です。
 治療方法は確立されておらず、結婚・出産は困難で仕事もしない方がよい、と言われました。

 熱もさがってきたので在宅療養となり、元の仕事に復帰もしたけれど、ちょっと無理。

 でも。

 私の人生をドクターに決められるなんて冗談じゃないので、無理くり肉体労働と言えるような仕事をして結婚もして子供も産みまして今があります。

 そんな訳でその後の20年ばかりは春が好きではなかったですね。

 でも、今はそんな気持ちは無くなりました。

 この年齢になり、生きてる時間が短くなったので、この季節がイヤだの早く暖かくなれとかヤレ涼しくなれなどと言い放っている場合じゃないのです。

 明日から四月。

 また新しいことをはじめたり、続けていることを確実にしたり、頭にくることには怒ったりしていこうと気持ちを新たにしております。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三月って色々詰まってます

2024年03月12日 | 雑感
 二月まではなんだか新年に不慣れな感じが残りますが、さすが三月は舟になぞらえれば魯の使い方に慣れた、ってとこでしょうか。

 三日のお雛祭りの思い出は、8歳頃に友達のひな祭りにお呼ばれしたので普段着で行ったら、友達は立派な八段飾りのおひな様の前できれいな着物に大きなリボンをつけて座っていて、私はみじめな気分になってすぐ帰ろうかと思ったことでした。

 十日はいつも母が東京大空襲の話をしました。
 新宿まで逃げて、土管の中から電車がゴウゴウと燃えていたのを放心状態でみていたことなどです。
 今考えてみると。父からは戦争のことも空襲の事も一言も聞かずにいてしまい、聴いておくのだったと思っています。父は早世してしまい機会を逃してしまいました。

 十一日は突然の揺れに体が動かなくなった、東日本大震災。もう13年たったとは思えないくらい色々な感情が沸き起こります。いまだ二千人以上の方が行方不明であり、二万人以上の方が避難生活を送っておられる。

 三月に限らない事だけれど、ウクライナやガザの方たちの状況もあり、毎日御飯を食べたり暖かい布団におやすみなさいと潜る時、震災や戦争で家族を失い家を失い食事も満足に手に入らない人たちの事を思うと、ありがたさと申し訳なさが胸のあたりにせりあがってくるのは、私だけではないと思います。

 十二日はどうでも良いと言われるでしょうが、結婚記念日です。お陰様で二人とも一応元気でありがたいです。

 自然災害だけでなく、原発推進に舵を切ったり戦闘機を外国に渡したり、不具合が不明のオスプレイが日本上空を飛んだりと、いつどうなるかわからない情勢の三月。

 色々あって、色々ありそうな三月・・。

 春の暖かさにボーっとしている場合じゃないですわ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする