藤原愛子の日常茶飯事

前稲城市議・藤原愛子のもろもろな日々

3月10日東京大空襲

2023年03月09日 | 雑感
 3月11日は忘れもしない「東日本大震災」

 その前の日の10日は、母にとって忘れもしない「東京大空襲」のあった日です。

「新宿でね、電車の車両がメラメラすごい勢いで燃えているのを、土管の中から見ていたのよ」

「逃げる前に、池の中にお釜にお米を入れて重しを置いて沈めておいたの。幸い家が焼けなかったのよ。でも、池に沈めたお釜の蓋が焼けてなくなってた。凄い火だったのね」

母が生前、3月10日が近づくとしていた話です。

その時、母たちがどこに住んでいたか定かではありませんが、都心に近かったことは確かです。
運よく戦場から帰ってきていた父がいて、まだ19歳の妻の手を引っ張って
「目をつぶってなさい!」と叫びながら走って走って火災の中を逃げたそうです。

父の言うことを聴いて、眼をつむっていた母は、何かを踏んだり転びそうになったりしたけれど、亡くなって斃れた人を一人も見ずに済んだ、と言っていました。

 父は早くに亡くなってしまったので、戦争のことは殆ど聞けませんでしたが、父が亡くなってから、本棚から「東京大空襲記録写真集」が出てきました。
 
 悲惨な写真が、これでもかとありました。

 今、声高に防衛費の増額をと言っている人たち。先制攻撃ではない、防衛のためのミサイルだ、と説明する人たち。
 たった一つのまちがいで、日本のまちが人が、あの写真集に載っているように何もかもが黒く焼けただれてしまうのです。母のように斃れた人を踏み、躓きながら逃げても食べるものが無い、という悲惨な状況をつくるということを、よ~~く考えてほしい。

きれいごと、と言われるかもしれませんが、私は外交力の増強を望みます。
コメント
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