不思議ですね。
肌の色が違っても、人の命はみな同じ重さ、と観念的に思っていても、「日本人が人質」という事態になると、今までの例よりも胸が痛む自分がいます。
よく、外国で事故があった時に「日本人はいない(あるいは居る)もよう」と報道されますよね。
正直、その内容によって事故や事件と自分との<距離>が違ってくる。
ああ、私って嫌な人間だな・・・と、その時思う。
昨日、新聞を見ていた母が 「けんじさんて名前の人、たくさんいるのね」と、不思議なことを言うので、横から覗くと多くの人が紙を持っている写真が。
男女関係なく、掲げる紙に「I AM KENJI」と書かれています。
なんとかしたい!でもどうしたら・・・という、もどかしい気持ちになった、人質になっている方の旧友が源となって広がっている行動です。
世の中には、自分ひとりの力ではどうしようもないことが、いっぱいあります。むしろ、その方がほとんどかもしれない。
自分の力でどうにかなるものが多い、と思っている人は、たとえば<仕事のこと><家庭のこと><彼。彼女のこと>かな。
極限られた範囲ですよね。 それでもうまくいかない事が多々ありますが。
今回のこの状態によって、私たちは<視野>と<思考>の範囲の拡大が必要なのだと、迫られた気がするのです。
人質になっている人をなんとか助けたい! そう思っている人は大勢います。
福島の人達の力になりたい。
原発を再稼働させたくない。
寒さに震える人に温かい飲み物を渡したい。
なんとかしたい、と思うことはたくさんあって、なんらかの方法で意思を表明したり、協力する。
今回の事件で「I AM KENJI」のメッセージを送る人たちが大勢になっているように、自分の意思を表明する人が増えてきている感じがします。
ただ、ヘイトスピーチのように、相手を傷つけるだけやおとしめるだけの自己優位に立った行為は歓迎しませんね。
そこで。
自分の意思を表明する、という行為ではあるけれど、誹謗や中傷・悪口雑言を言う方たち。中には顔も名前も出さずに言う方もいますが。
ぜひ、<視野>と<思考>を広げて、きっと優秀であろうその脳の回路を、他人を助けるために使ってもらえないでしょうか。