藤原愛子の日常茶飯事

前稲城市議・藤原愛子のもろもろな日々

南山を崩した<土>をよみうりランドに盛る?!

2009年08月17日 | 日々の活動
 夏が本格的に来たかっ!・・・と思ったら、夜に虫のすだく声がして、既に秋の気配がしてきました。
 もう私なんぞは年齢的に(?)かき氷を山盛り食べることはできませんが(お腹をこわしますんで)夏に冷たいものばかり食している方、これからやって来るインフルエンザにご注意くださいね。歳に関係無く、免疫力が落ちてるでしょうから。

 話は、「南山」です。

 南山東部区画整理事業について、最初の計画では、山を削った時の土は、計画地の谷を埋めるのに使用し、外部に搬出は原則しないものでした。
 それが、計画変更され、外部に30万立米搬出するとなり、アセスのやり直しが必要なのではないか、と東京都環境局に行った経緯がありました。

 そして、今、よみうりランドの遊園地内に、その土を盛って行く計画であることが判明しました。

 ランドのほぼ中央、ジェットコースターの橋脚と、屋外劇場がある約46,200㎡に、主として「南山事業の発生に伴う建設残土」を盛る、というものです。その量は、約39万立方メートルです。

 この計画に関して、川崎市では、条例によって<環境影響評価>(アセスメント)をおこないました。今、この内容が、川崎市役所と、稲城市役所で縦覧されています。
 環境に直接関係するとされている地域は、川崎の菅仙石と、稲城の矢野口地区で、ランド通りを大型トラックが搬出入のために行き来します。
 このことは、南山の事業と関連してはいますが、それとは別に、川崎の環境や稲城の安全にかかわる事です。

 大体、アセスメントとは、工事を実施するための<通過行為>となってしまっている感がありますね。
 でも、どうぞ皆さん、役所の環境課に行って(暑いですが!)中身を見て下さい。そして、意見書も書けますので、「これはどうも」と思われたら、意見書提出をして下さい。あっちの環境こっちの環境と、別々に評価されて、「影響無し」と人間は言うけれど、鳥やタヌキは言えませんので、その点をよろしくお願いいたします。

 
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夏、と言えば、「盆踊り」と・・・

2009年08月09日 | 雑感
 稲城では、旧盆の所と、新盆(しんぼん)でやる家が混在しているようですね。我が家は7月にやります。8月の半ば過ぎに三沢川沿いを通ると、ナスの牛ときゅうりの馬が橋のたもとにいたりします。

 この季節に浮かぶのは、全く異なる二つのことです。

 一つは、「盆踊り」 もうひとつは「原爆」です。

 盆踊りから話します。
 昨日、地元の盆踊りがありました。小さな公園に、地元団体が出した夜店がキラキラと並び、子どもからお年寄りまで、まあ、沢山の人、人・・・!
いつもは夜遊び出来ない子達も、この日ばかりは親御さんや友達と一緒にゴヤゴヤと楽しそうに金魚すくったりしていました。
私も勿論踊ります。ビール飲みます!

 色んな<音頭>があって毎年忘れて、そのうち何となく踊れるようになります。
 
 盆踊りに混じって、阿波踊りもあります。いやあ皆さん元気です!9月5日には、阿波踊り大会が、ランドの駅前であります。

 ・・・そこで、思ったんです。
 確かに阿波踊りは素敵!毎年盛んになって、活気があります。
 じゃあ、もうひとつ、「オンリーワンのまち作り」なら、「稲城繁盛節」か「稲城梨唄」で街中を大行進!途中入っても抜けても良くて、誰でも参加できる、なんてのも良いなあ、と。市民まつりの時だけではもったいないです。


 もうひとつの「原爆」です。

 前にも書いたと思いますが、私、ずっと前に、稲城で「地人会」の方と一緒に、朗読劇「この子達の夏」をやらせてもらいました。
 一瞬にして命を奪われた家族や友達の状況を瀕死の子や母が書き残した文と、生前の写真で構成されたこの劇は、<悲しい>とか<むごい>とかの一言では言い表せない、体の中から熱くて激しく渦巻くものが、胸が裂けて吹き出てくるような感情に襲われるものです。

 もう先の戦争から、63年たちました。戦争の体験を語るひとは、高齢になり、そのむごさや熱さや臭いを伝える人がいなくなり、戦争というものが、バーチャルの世界にならないように、幼児期より絵本から、子どものうちから、日本の戦争の歴史を、被害加害共に教えていかないといけないと思います。

 確かに、残酷な内容であったり、悲し過ぎることであったりするかもしれませんが、<知らない>まま,<教えない>ままは、かえって罪になると思うのです。


 昼も夜も、子ども達が、水遊びしたり盆踊りに行ったり。それが出来るのは、今、日本の国土では戦争が無いからです。
 
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見えない。でも感じる・・・。

2009年08月01日 | 雑感
 積乱雲が無い八月、九州の海では赤潮被害で、魚が死んでいます。北海道の大地では、日照不足で作物が実らない。うつむく人たちに、自分は何が出来るのか、と考えてしまう・・・。早く本当の<夏>になって!と祈ることしか出来ないでいます。

 本日予定していた行事が延期となり、ポカッとできた時間に、机の前のメモ整理をしました。ベタベタといろんなメモは重なって、もうメモとしての機能が無いのもありました。
 そこに、気にしていながら手をつけずにいた、「長崎被爆者の声」という被爆した方たちに取材して記録したCDを作った方と、ホームページをつくった方のメモがありました。「そうだ、機会をつくって、この方のお話を聴く集まりをやろう」と、その方の住所をきれいに書いて、貼り直しました。知り合いの知り合いだし、調布にお住まいだし、近いな、と。
 一応整理できて、さてと、一息いれながら、新聞を読もう。・・・と、開いたところ、目に飛び込んできたのは、まさにその方の<死亡記事>でした。

 こんな事があるのだろうか。
 これはどういうことなんだろうか。
 物事を後回しにした、私へのバツなのだろうか・・・。

 自分では、仕事を、特に他の人が関わる事は、早くやっているつもりなのですが、まだボンヤリして機を逃すことが多いのかも、と、反省いたしました。

 話は少し逸れますが・・・

 「あの人どうしているかな・・・」と考えていると、電話がある。
 夢の中で、誰か名前を思い出せない人に逢う。その人が「おれ、・・・だよ。」と名前を言う。翌日、まったく偶然その人に逢って訊かれる「おれ、覚えてる?」私は当然そうに「・・・君でしょ!」と答える。
 そんなことって、ありますよね。
 良いことなら嬉しいですが、いったいこれは何でしょう?


 こういう、時々先のことがわかったら、それがもっと公に役立つ内容なら、自分の仕事に活かしたいものです。でもきっと、本来の<先見の明>は、こんないい加減なもんではなくて、もっと知識と経験に裏打ちされたものなんですよね。

 私の仕事には、理論的なことも必要だけど、感覚的・感情的な分野も必要だと思
っているんです。これまた、上質で、深くなきゃいけませんけど。
 すぐ頭にくるようなことは控えなきゃ、ね。
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