応援してくれた皆様、結果が出せず、申し訳ありませんでした。
昔風に言えば、「B29に竹槍で向かうような気持ち」で臨みましたが、選挙の車に乗って走ると、なんと笑いながら好意をもって手を振ってくれる人の多かったこと!お店から飛び出してきてくれる人。「うちの方に来ない。来てくれ」と電話してくれる人。「南山を守ってください!」と手を振るひと・・・。みなさん、ありがとうそしてごめんなさい・・・。
多くの市民の方達がつくった会「かえよう稲城!市民の会」から、立ち上がった私は、本当に多くの優しさと熱意とひたむきさに支えられて、演説の中身に一切のウソも中傷も入れずに、事実のみを語ってきました。
相手を口汚く批判する手法をとって自分を優位に見せるようなことを、私は、軽蔑しますね。可愛そうな人だとも、思う。
これからですが、会のみんなと共に、前にむかうことを考えています。
そしてそれが、これからの稲城をなんとか悪くしていかない行為になると考えます。
何を考えているか、それをここに書くと、又誹謗中傷されるかもしんないから、辞めときますね。
南山のことでコメントくださった方。誠実な議員も、中にはいるのよ。そして誠実な市民は、もっと、いるんです。
でも私達は稲城を見捨てたくない。だめだったと終わりたくない。
これからできることを考えましょう。あの選挙の様子を見て、稲城の現状に気づいた人もいるはずです。
愛子さんも少しゆっくりエネルギーをチャージして、また皆でできることから始めましょう。
とりあえずは、16年間、お疲れ様でした。
ブログは是非、続けてください。
長期市制に対する批判票が割れてしまったと感じます。(私は南山に対しては中立的考えでいます。自らの住む多摩NTも里山を崩してできた街だからです。)
1位票(15462)<2位票+3位票(18575)
たら・・れば になってしまいますが、二者択一の選挙であったなら藤原さんが当選した可能性もあったと思います。また震災後 浮動層 無党派層の投票マインドが変わった(変化は求めない)ような気もします。
市政は“○○党””右か左か”という既成政党の枠だけでは語り切れないように思います。
当選した市長も圧倒的に支持されたのではないことを認識して市制に当たって欲しいと感じます。
先のコメントの方と同様ですが、今後も何らかの形で市制に影響を及ぼす存在であって欲しいと思います。
ずっと応援していました。
市長になってほしかったです。
残念です。
余りにも古くて醜い選挙手法に、市民として恥ずかしく思いながらも、こういう手法にでるのは危機感のあらわれで、僅差の戦いになると思っていましたので、期日前投票と各投票所ごとの開票結果を公表してほしいです。
この結果により、複数の区画整理を抱えた稲城の市民は、宅地分譲で新しく稲城市民になる人のために、税金を払い続けることになるのでしょうね。
新しい住民を迎えることはとても大切ですし、他の文化や意識を知ることになるので重要だと思いますが、何分にも予算のバランスが悪すぎます。
宅地分譲で、一時に急激に大勢の新しい市民が入ってくることは、その地域の文化や意識も変えてしまうことにもなりかねません。税収だけでなく、そういう点について市長の考えを聞きたいものでした。
ベッドタウンとして有名な某自治体の失敗から学んだという、ある自治体では、宅地への入居時期を分散させ、急激な高齢化によるスラム化がすすまないように、年齢のバランスをコントロールしているそうです。
稲城市が自治体として成熟し、下水道整備も道路整備もすでに終了し、老朽化したインフラ整備の調査費用や更新費用が計画的に計上されているのならともかく、古い住民への配慮やサービスが欠ける予算配分では不満です。また、人口減による経済と人々の意識が変化した今、区画整理事業の頓挫を危惧しています。
特に、駅からの徒歩圏ではない上平尾地区は、平尾団地の建て替えが決定してからでも良かったのではないか。平尾団地がこのまま放置されれば、いずれは空家が増えて、スラム化して、団地行のバスが不採算路線になる可能性もあります。その時の責任は誰がとるのでしょうか?
稲城市には大きな可能性があると考えて、引っ越してきました。農地が残っており、食糧の自給が考えられる点だけでなく、農業人という土地に対する責任感が強い人がいるという点が大事だと思っていました。
そういう人が稲城の良さを守って、都市の中で近代農業を推進していける自治体になるだろうと思って期待しているわけです。
最近知ったのですが、稲城には牧場もあるのですね。大塚牧場のアイスクリームのおいしかったこと!梨やブドウのように稲城市の名産品まで引き上げられないかしらと思いました。
区画整理で入ってくる新しい市民は、大半が会社員です。その土地に何代も住み続けるとは限らない、いつでも引っ越せる無責任でいられる住民です。
農家は法律も違う面があり、良くも悪くもその土地について責任を担わされています。それに、命に直結している、貴重な嘘の通用しない仕事を、住民がそばで見られるということは素晴らしいことだと思っています。
でも、人の価値観はいろいろですから、近くに農地があると土ぼこりが・・とか、家畜の臭いはダメとかいう人がふえないことを祈ります。
稲城市には、お互いの価値観を尊重できる良いバランスで、農家や酪農家と一般市民とが協調して仲良く生活できる価値観の多様な理想的な自治体になって欲しかったのですが、新しい市長さんはそういう風に考えてくれるでしょうか?
多様な価値観を日常的に体感できる環境は、子供の教育上、今後世界を相手に生きていかざるを得ない子供の未来にとって、財産です。教育は学校の中だけのものではないからです。
金太郎飴のような、どこかで見たことのある街づくりはやめてほしいです。
でも最後にもうひとつ。どんな仕事も役割分担だと思っているのですが、稲城市には多様な価値観を求めつつ、その中で注意する点も考えられます。
お天気次第で作業をする農家の人々の意識や感覚と、会社員の生活の意識や感覚とは異なっています。
農家の作業では必要であり、許される「お互い様」という感覚や、「お天気次第」という一種あいまいで自分の責任ではない感覚や、個人の意見を出しにくい強い共同体意識が、一般住民にまで滲みでてくることには注意が必要です。
そうでないと、市の発展のために、市政を客観的に見つめ、仲間であってもとるべき責任はきちんと追及して、同じ失敗を繰り返さないようにするという、緊張感を持った姿勢が失われてきます。
ある出来事がきっかけで、市の議事録や議会中継をみるようになり、責任にたいする感覚がうすいことに唖然としました。「稲城の常識は、他市では非常識」というのでは、近隣の自治体との連携など望めないと思います。責任があいまいに処理された案件がいくつあるでしょうか?
そして、議員の重要な仕事である、市政のチェックをしている議員がいかに少ないか、聞かずとも市の答えがわかっている質問ばかりする議員、次の選挙の票にさわらない言葉で質問する議員が多くてがっかりします。
そんな議会の雰囲気の中で、市民自治派の藤原さんは本当に立派な議員活動をされてきたなーと思います。
長い間、誠実に活動報告を配布し、市民の意識向上に力を注がれてこられて、本当に立派です。
ぜひ、これからも市政の知識(民生費に含まれるものとか)、他市との介護保険料の比較とか、下水道の普及率とか、市道認定された道路他、情報開示は続けて行って欲しいです。しがらみがなく、議会の外にいるからできること、経験者として発信できることがたくさんあり、貴重だと思います。
投票日の前日に新聞で配布された、多摩データブックによる土木費と民生費のグラフによる比較、あれはわかり易くて良かったです。
他の候補で、住民一人当たりの職員の数と稲城市職員の給与の現状を開示したものもありましたが、比較というわかり易い形で、市政の情報開示をもっと早くから浸透させていれば、結果は違っていたのかなーと。
自分たちの支払った税金がどういう風に使われているかという点について、まだまだお上に任せておけば安心という気風が強かったのかなーと。
会社員、自営業、農家の納税は同じなのかなーと。
市政の失敗のつけは市民が払うということが周知されていないのだなーと。
農家の方々は、春の作付けで忙しい時期に選挙広報など読めたのかしらと。
南山問題が、市民全体に共有されていなかったのかなーと。
緑が多い方が良いとは、漠然と思っているけれど、どういう緑がどの位欲しいか(樹木のせいで日陰になったり、薄暗くなって物騒になることもある。2,30年あれば植林で新しく森を作ることも可能)、その管理(不法投棄の場所になったりする)はどうするかという点まで、深く緑のことを掘り下げて考えるまで、市民が成熟しておらず、区画整理問題、崖地問題、緑地保全問題と論点がいくつもになっていて、考えるのが面倒になって、問題意識が薄れたのかなーと。
もう始まっている事業を中止した後、基金での緑地保全の具体的なデザインが描けなかったのかなーと。
稲城の街は分散型なので、南山に一度でも行ったことのある人が何人いたのかなーと。
各地域から南山ツアーを実行していたら、結果は違っていたかなーというように、立候補者でもないのに、一人反省会をしました。(笑い)
藤原さん、本当に本当にご苦労様でした。
バレンタインデーの記者会見から、2ヶ月と10日。本当にありがとうございました。私たちは、「藤原愛子」と言う、「夢」を追い続けてきました。残念ながら、私たちの力が及ばず、「夢」はお預けになりました。ごめんなさい。
「夢」と言うとある人々は「はかないもの」と思います。でもそうではありません。人間はいつも「夢」を見続けて、それを一歩一歩実現してきたんだと思います。
24日の夜、みんな、がっかりしてました。でも、同時に、みんな「次」を語りました。「夢」は終わっていません。私たちは、これからも「夢」を追い続けて、必ず実現します。この数年間、なんとなくもやもやしていた「不満」を、どうすれば解決できるのか、その中から出てきたのが「かえよう!稲城 市民の会」の活動だと思います。で、私たちは、たくさん、たくさん、学びました。この次は、もっと、うまくやれるでしょう!
24日の夜、高笑いをしただろう「誰かさん」は、何年か後に、「悪夢」を見るでしょう。
もう一度、ありがとうございました。
そして、これからも、夢を追い続けます。
努力すれば、たいていの夢はかなうのですから!
まー、そんな些細なことはどうでもいいんですが、稲城市の未来を良くしていこう考えるのであれば、行政や特定の企業のやることに、市民を巻き添えにしながらいちゃもんつける戦法から、こうすればもっとよくなるんじゃない?とか、市民、行政、企業、NPO…みんなの力を合わせてどうやってさまざまな困難な状況を乗り越えていくかという、クリエイティブな発想が求められていると思います。自分たちの考え方こそが正しいという白か黒かという思考からの脱却と言ってもいいかもしれません。もうそういう政治は古いでしょう。信念を貫くことは大切ですが、自分の信念より大切なことは世の中一杯あります。
確かに行政のやること(税金の適正利用)を監視することが議員の仕事の一つでもあるわけですが、駄目だしばかりでは、優秀な行政職員の持ち腐れです。いわゆる負のスパイラルに陥って、市民にとってはむしろマイナスです。当方は多摩、稲城、八王子、府中、町田で頑張っている優秀な行政職員を何人も知っていますが、彼らをどうやってモチベートするかということは、いまや市長や議員や管理職の特権ではなくなりつつあります。市民の出番なんですね。東日本大震災で、結局大きな力になったのは多くのボランティアやNPOだったことが端的に物語っていますが、しがらみのないクリエイティブな市民の底力が求められている時代にいよいよ突入した。行政も一市民ということ。
「地域の自立」とは「市民の自立」以外の何物でもなく、市民の自立とは、不具合を行政に押し付けるだけではなく、市民自らが知恵を結集し汗をかいて、不具合を具合良くする工夫と努力を積み重ねていくことによって育てられ強固になっていくのだと思います。
今回の選挙結果は残念でしたが、一市民としての今後の活躍を心から祈っております。
子ども達が将来、「こんな稲城に住めてよかった」と思える街作りをしてくださると思える藤原さんをずっと応援してきました。
今回の結果は本当に残念です。
前市長路線に疑問を持っている人は私の周りの保護者でも多かっただけに、票が割れてしまったことを残念に思えます。
新市長には、過半数の市民の支持は得られなかったことを謙虚に受け止め、見直すべきところは見直す耳を持っていただきたいと思います。