藤原愛子の日常茶飯事

前稲城市議・藤原愛子のもろもろな日々

性教育の基盤は、人権教育。

2018年05月06日 | 雑感


 本日でゴールデンウイークなるものが終わります。

 泊りがけで遊びにきた息子家族。  お目当ては、よみうりランドです!

 稲城の手作り市民まつりも堪能して、「またね~」(^^)♪♪ と帰って行きました。


 翌日。

 情けない・・股関節が痛い・・。孫をだっこしたからね。  だっこできるのも今だけですもの。


 昨年の今頃は、母の葬儀だなんだと、ゴールデンウイークどころじゃなかったでしたし、もともと世間のお休みとはリズムが合わない仕事なので、孫でも来ない限り、GWの実感がないという有様です。


 
 そのような日々。

 日々新聞に書かれている、<セクハラ問題>ですが、いったい何故被害者が責められるのか。

 顔の見えない世界で中傷や非難を発信する人たちは、この連休にも誹謗中傷でストレス解消をしているのかと思うと、股関節の痛みを忘れて憤ってしまいます。

 また、被害にあって、勇気を振り絞って発言した方たちは、この連休も心が晴れない日々だったのではないでしょうか。

 

 麻生財務大臣がまたまた開き直り発言。「セクハラ罪なんてないし」と。

 森、加計問題も重要ですが、このように人権問題に関して無知なひとが大臣でいるとは。


 そうそう。

 18才を成人にしよう、と言っている一方で、中学校での性教育に「性交」や「避妊」という言葉はダメだ、と言っている議員がいましたね。

 いったい、どんな人間を育てようと考えているのでしょうか。


 性教育の基本は、人権教育だと思います。

 人の性を理解する。男性、女性という区別だけでなく、ヒトとして生まれてあらゆる特性を持ち、その存在を尊重する。

 それを教える機会が、「性教育」だと思うのです。「性器教育」にとどまる頭だと、先の議員の発言になるのです。


 「はめられた」だの、「ハニートラップ」だのと変な被害者意識を口にする人たち。相手の立場に立つ、相手の尊厳を考えるということをもう一度学び直ししてもらいたいですね。

 あ。

 「セクハラに会わない人たち」と言った人もね!

 
コメント
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