アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

こんなマスコミならもはや不要だ

2010年08月05日 17時09分07秒 | 一人も自殺者の出ない世の中を
・高齢者不明:100歳以上の所在不明 各地で発覚(毎日新聞)
 http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100804k0000m040126000c.html
・100歳以上の所在不明48人に…年金支給6件(読売新聞)
 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100805-OYT1T00007.htm

 今頃になって、何を取って付けたような事を言っているのか、行政もマスコミも。本当に高齢者の事が心配なら、下記転載でも明らかな、今のお寒い介護福祉や生活保護の現状を、一刻も早く改めるのが先決だろう。後期高齢者医療制度も、当初の公約通り廃止するのが筋だろう。マスコミも、それに向けてキャンペーンを張るのが筋だろう。
 それが何だ。そういう根幹の矛盾には目を塞いでおきながら、「100歳以上高齢者の所在不明」だけに問題を矮小化した上で、さも大仰に心配しているかの様なポーズでお茶を濁して。それも、どのメディアも「右へ倣え」の後追い報道ばかりで。それもこれも全ては、今回の件を人権問題としてでなく、精々「公務員叩きのネタ」としてしか捉えていないからこそ、こういう報道姿勢になるのだ。
 更に、人の生き死にに関わる生存権保障の問題を、年金不正受給や「税の使い道」の問題に矮小化するに至っては、もう呆れて物も言えない。僅か数年前の記事と比べても、最近のマスコミ報道の劣化ぶりは凄まじい。官邸機密費でマスコミも買収された結果か?

(以下転載:数年前の長文の記事ですが、今でも充分通用する内容です)

【転載希望】「たまゆら」火災の無縁仏ーきずな求め流転人生ー起こるべくして起こった人災(「軍事費削って!5秒に一人、飢餓で命を落とす子ら」ブログより)

●●●琵琶の独り言
3月19日、群馬県の老人ホーム「たまゆら」で10人の老人が焼死してから約1ヵ月がたった。当時こそ騒がれたが、今は、再び付近は静寂を取り戻した。

しかし、この事件はまさに起こるべくして起こった政治災害であり、関係自治体、わけても、都内の老人ホームの設置をおこたり、群馬・埼玉・千葉・茨城・神奈川・山梨などの周辺県に千人にものぼる孤独な老人たちを押し付けてきた都の責任は大きい。

時あたかも、今日14日、東京オリンピック誘致のための調査団が到着した。
それを迎える満面の石原東京都知事の顔は、自己の権力維持のため、民生を顧みない金正日の顔とだぶって見える。

以下、関係自治体の東京都墨田区の公式見解と、朝日新聞コラム、毎日新聞、しんぶん赤旗の記事の4本の資料を提供する。

経済大国2位どころか、福祉後進国日本の現状を直視するための資料として活用されたい。

【資料1-東京都墨田区公式ブログ2009年3月24日 掲載】
群馬県渋川市の「静養ホームたまゆら」火災についてー(見よこの冷たさを!)
1 経緯
  群馬県渋川市にある高齢者向け住宅「静養ホームたまゆら」で平成21年3月19日夜に7名が死亡する火災が発生しました。さらに21日には火災による火傷で入院中の方3名が死亡され、犠牲者の数は10名となりました。
  同施設には、墨田区福祉事務所の紹介で15名の方が入所されており、火災により6名の方の死亡が確認されています。―中略
5 今後の対応
  亡くなった方への対応に万全を尽くしています。(親族との連絡、ご遺体の引取り等)
  現在、無事が確認されている方7名の受入れ施設について、関係機関と協議を進めています。区としては今後の対応として、安心して生活することが可能な施設への転居を進めてまいります。


【資料2―朝日新聞コラムー2009/03/21 12:01】
東郷 幹夫の思いつくまま日記
『起こるべくして起こった事件』
この建物には高齢者や生活保護者で、身体不自由者が入居していたことが、被害を大きくした。このような形で人生の最後を迎えざるを得なかった7人の人々の無念さを思い、遺憾の意を表するとともに、ご冥福を祈るものである。

ただこの事件は起こるべくして起こったという側面を持っている。
●東京都墨田区は、入所先が見つからない生活保護受給者を、「たまゆら」に紹介するなど、「たまゆら」は都内の自治体の受け皿になっていたそうである。紹介するからには、紹介者側の東京都は、「たまゆら」の実情を把握していたはずである。

それならば、それなりに東京都から「たあゆら」に改善勧告を行うべきであった。入所者を紹介したからには、責任がある。東京都は2016年の東京五輪招致の運動費に55億円を計上し、すでにその多くを消費したと思われる。さらに東京五輪開催が決定すれば、何千億円もの金が消費される。

石原都知事の良識を疑う。それだけの金があれば福祉関係に回し、都の受け皿となっている他府県の老人施設を援助すべきであった。


【資料3―毎日新聞 2009年4月12日 東京朝刊】
ニッポン密着:
「たまゆら」火災の無縁仏
 きずな求め流転人生
 身寄りのない生活保護受給者の処遇を巡る課題を突きつけた群馬県渋川市の老人施設「静養ホームたまゆら」の火災。10人の犠牲者のうち確認できなかった4人の身元が分かったのは4月2日だった。その一人、久保田文雄さん(55)。遺体は生活保護費を支給していた東京都墨田区が引き取った。

■ことば ◇生活保護受給者の移管手続き
 生活保護は、居住地の自治体が費用の一部を負担し、保護に責任を持つ「居住地保護」の原則がある。東京都内の自治体から受給していた人を都外に転居させる場合、転居先の自治体と協議して保護の管轄を移す移管手続きが必要。

しかし、転居先の自治体に「保護費」として、新たな財政負担が生じるのがネックとなり、転居後も都内自治体が保護費の支給を続け、地元自治体が居住を把握していないケースが増えている。都内だけで今年1月1日現在約1000人(本紙調べ)いる。

【資料4―2009年4月7日(火)「しんぶん赤旗」】
特集ワイド:「たまゆら」火災の深層
 行き場を失った、
時代の犠牲者

●一時避難した人も、また戻って変わらぬ生活を送る
 東京から北上し、赤城山のすそ野に老人施設「静養ホームたまゆら」(群馬県渋川市)はある。3月の火災で10人が犠牲となった。多くは身寄りもなく、異郷で暮らした。赤城の山から関東平野に吹き付ける空っ風は、お年寄りにとってことさら強く、冷たかったのではないだろうか。【鈴木梢】

●自分の土地離れても空きベッドがあるならすがってしまうんです--認知症介護を経験、タレント・荒木由美子さん

 北の玄関口、上野駅で長野新幹線「あさま」に乗り込んだ。高層ビルが林立するコンクリートの街を抜け、高い山の峰が幾重にも連なる風景が見えてきた。群馬県境を越えたと気付いた。妙義山、榛名山、噴煙を細くたなびかせる浅間山の遠景も見えた。高崎駅で在来線「草津号」に乗り換えると、車内は温泉客の陽気な笑い声が響いていた。

東京から「たまゆら」の最寄り、渋川駅まで2時間。都会から山里へと移ろう車窓の景色をどんな気持ちで眺めていたのか。火災で犠牲になった10人のうち6人は東京都墨田区から紹介され、三鷹市と横浜市から来た人もいたという。

 電車を降り、渋川市街を抜け利根川を渡ると、「赤城山」の道標がある。ネギ畑が点在する山道の途中には「福祉の里まちづくり」と書かれた看板が立っていた。畑で種まき作業をしていた近所の男性(75)に、「たまゆら」までの道を尋ねた。男性は自身で母親を介護した7年間を振り返り、嘆いた。

 「あそこはうばすて山だもの、そうだんべ。年寄りの面倒を見なくなったってこと、困ったらほれほれって預けてしまうんだもの。シャバが悪くなった、シャバって社会よ、社会。物は豊かになったけど、心は貧しくなった」。施設との近所付き合いはなかったという。

 今村昌平監督が深沢七郎の小説「楢山節考」を映画化したのは83年だった。山に囲まれた信州の貧しい寒村の因習で、山に捨てられる老母とその息子の心の葛藤(かっとう)を描いた。70歳を迎えた老母が息子に背負われ、捨てられることを知りながら山道を登るシーンは、日本映画史に残る名場面とされる。

■火災現場では、焼け跡を覆うブルーシートが山から吹き付ける冷たい風にはためいていた。焦げた布団や車椅子が置き去りになり、焼けたにおいが鼻をつく。火災当時の入所者は16人。助かった6人のうち4人は東京から送られて来た。一時は別の施設に避難したものの、ここに戻るしかなかった。仲間が犠牲となった施設の敷地で、火災前と変わらぬ毎日を送っていた。

 現場から数十メートル離れたプレハブの事務所で、「たまゆら」を運営する特定非営利活動法人「彩経会」の高桑五郎理事長(84)が机に向かっていた。「特養(特別養護老人ホーム)からあふれた障害者や身寄りのない方がたくさんいる」。

火災前の「たまゆら」には認知症の高齢者のほか、脳梗塞(こうそく)の後遺症や精神障害のある人も暮らしていた。義足やほぼ全盲で手助けがないと生活できない人もいたという。

 認知症のしゅうとめを20年間介護したタレントの荒木由美子さん(49)は、テレビのニュースで火災を知った。新聞には連日、「ずさん運営」「無届け施設」の見出しが並んだ。

荒木さんは「亡くなられた入所者の方々は、時代の犠牲者ではないか」と衝撃を受けたという。思い浮かべたのは、介護施設満床で行き場を失った高齢者の姿だった。

 介護の講演のため全国を訪れる荒木さんは、家族だけでは担いきれない介護の窮状に直面している。
 「火災で命を失うなんて、とても悲しいことです。けれども、住んでいる土地を離れても、認可や届け出がなくても施設に入れてほしいと願う人もたくさんいるんです。みなさんベッドが空いていると聞いただけで、すがるように施設に行く。

施設入所の待機者が膨れ上がり、お国のお墨付きを待っているような実情ではない。この惨事は、重要な問題提起ではないでしょうか」

 映画「楢山節考」は信濃の古い因習を描いた。今、豊かになったこの国で「覚悟を決めて息子に背負われた老母」を救う場所さえない。

 「日本の福祉の根底にどんな問題があるのか。命を粗末にしないよう、家族の切実な声をくんで、考えてほしい」と荒木さんは訴える。

 今回亡くなった6人の連絡先は「東京都墨田区福祉事務所」。いずれも生活保護を受けていた。東京都の昨年1月の調査では、生活保護を受けている高齢者約500人が近隣の施設に移り住んでいる。

 06年1月に7人が犠牲になった長崎県大村市のグループホーム火災での取材が思い起こされた。海を望む高台の施設は出火当時、当直が「たまゆら」と同じ1人体制で、消火活動が難航した。その後、スプリンクラーの設置義務など福祉施設に対する規制が強化された。

 しかし、「たまゆら」は行政の網の目からもれた無届け施設だった。渋川市内の老人施設の責任者は「スプリンクラーのための資金が用意できる施設がどれほどあるのか。無届けが多い理由はそこにもある」と指摘した。

 介護保険制度が始まった00年、福祉経営は民間に開放された。財政的裏づけを得て、99年に303カ所だった有料老人ホームは今年4000カ所を超えた。

厚生労働省のまとめでは、老人福祉法に基づく届けがない施設は全国579カ所に上る。

■現場の焼け跡に入所者の男性がひとり、サンダルばきでふらりと近づいてきた。「仲間が1人、ここで亡くなったんだ」と、献花台で手を合わせ、ブルーシートをめくり中をのぞき込んだ。声を掛けてみたが、その答えは見当外れで、話はかみ合わなかった。

 献花台には和紙のカードが置かれていた。

 「深井隆次様 S6年3月25日生まれ 祝78歳 これからも深井さんの踊りを見せて、みなさんを楽しませてくださいね」。これを書いた介護士を訪ねた。「知らない土地で不安だったんでしょう。時々情緒が乱れ、ここが東京だと勘違いしていることはありました」。墨田区の紹介で来た深井さんの口から幼いころの思い出は聞かれたが、家族の話はなかったという。

 無残に黒く焦げた建物は、福祉を置き去りにした高齢化社会のひずみをあぶり出している。生活保護を受ける犠牲者は無言の帰宅さえ、かなわなかった。この日、現場の里山には東京から9日遅れてサクラの開花宣言が出された。

●「特集ワイド」へご意見、ご感想を
t.yukan@mbx.mainichi.co.jp
ファクス03・3212・0279
 http://blogs.yahoo.co.jp/biwalakesix/14772928.html
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7 コメント

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今回はハズレ (修正資本主義者)
2010-08-07 08:28:25
問題になっている話とかなりズレがあると思いました。プレカリさんが何に怒っているのかよくわかりません。
今の所マスコミの論調もおかしいとはおもいません。人の命が軽く扱われていたから隠れていた行方不明や白骨死体の老人の姿(放置され方)ではないか。その点マスコミや人々の関心が集まる方向はまだ健全で、「いなくなったお年寄りはどこにいるのか?」と思っているように見える。
そこからなぜ「こんなマスコミなら不要だ」という結論になるのか?
Re:今回はハズレ (プレカリアート)
2010-08-10 06:41:18
>問題になっている話とかなりズレがあると思いました。プレカリさんが何に怒っているのかよくわかりません。(修正資本主義者さん)

ごめん、パソコンの不調などが重なって、返事が遅くなってしまいました。

それで上記の件ですが、「何に怒っているか?」って、そんなモン、言行不一致に決まってますやん。なるほど、一連の高齢者所在不明報道の字面だけを見れば、さも高齢者の行方不明を心配しているかの様な印象を受けるかも知れません。でも実際に、この国の為政者がやって来た事は何ですか。医療・介護保険制度の改悪や生活保護切捨て(水際作戦)などの棄民政策のオンパレードじゃないですか。そして、それを後押ししてきたのが、これまでの大手商業紙などのマスコミ論調ではないですか。
もう、言っている事と実際の行いが違いすぎます。菅首相の広島原爆慰霊式典での「憲法・非核三原則擁護」発言と、同日記者会見での「核抑止力容認」発言やこれまで普天間問題でとってきた態度との違いと、全く同じではないですか。これが言行不一致の二枚舌でないなら、一体何だと言うのですか。
まだわからん (修正資本主義者)
2010-08-10 14:17:10
ゴメン。本当に話のつながりがわからない。個別にプレカリさんの言うことはそれなりに同意するのだが、それがまとめて今回の高齢者行方不明の事件とつながらない。
プレカリさんの頭の中で「自明」の関係性が私の頭ではまったく個々に、それぞれの原因で、それぞれの観点で存在していて、プレカリさんがその「つながり」を何故指摘するのか、その点に全く共感できない。
以前の生協の話題の場合は、そこらの普通の人の数百倍私もプレカリさんに共感できる共有する部分のあることを自負していたのですが、今回はどうにも自信もない。私以外なら「なるほどわかるよ」というかも知れない。
だが社会に生起する事象は複雑です。プレカリさんのよく用いられる手法「○○はAがBだからCな点は、まるで△△がXがYだからZだというに等しい」というこのブログでの告発の仕方ですが、かなり長大な公式になっています。この「公式」はほんのちょっとでも認識を共有できない箇所、仮説の部分があるとすぐ崩れる。たとえば「X=A」という代入項ひとつが成立しないと公式全部が崩れ去る。私を含む対話者が間違っていたり、基礎的認識においてプレカリさんの知識常識に達していない可能性や、マスメディアに毒されて先入観ができてしまっているかも知れない。それでもコミュニケーションを正確に伝達するにはどうしたらいいか? あるいは「人を見て法を説け」ということを実践するにはどうしたらいいか? 難しい課題です
目から鱗 (プレカリアート)
2010-08-10 23:12:23
>プレカリさんのよく用いられる手法「○○はAがBだからCな点は、まるで△△がXがYだからZだというに等しい」というこのブログでの告発の仕方(修正資本主義者さん)

 いや、正に目から鱗(うろこ)です。そう言われてみれば、今まで何度となく、この手の比喩というか三段論法というか、そういう筋立てを、まるで「定番のオカズ」の様に多用してきました。それも、「AがBだからC=XがYだからZ」という、込み入った形で。
 自分としては、決して意識的に使っている気はありませんでした。しかし、そう言われてみれば、なるほど今までも思い当たる節があります。実際にも、私のブログの文章に対して、「話が込み入っている」「難しい」等々の辛口の評価を、自分の身近な知人からも戴いたりしました。

 そう言えば、こんな事もありましたね。以前、異動前の職場で、私が派遣バイトから謂れなき暴行を受け、その事実を後で上司に報告した際も、加害者の自己チュー・唯我独尊ぶりを強調する為に、当人をファシストと詰り金正日やブッシュに準えた事がありました。そこでは、私はあくまでも比喩として用いたつもりだったのですが、何と上司はそれを真に受け、「本当に彼(加害者)が、自分を金正日やブッシュに準えながら、君に襲い掛かってきたのか?」と聞いて来た事がありました。
 その時も、私にとっては、「ファシスト」「ブッシュ」「金正日」などの比喩も、ブログではごく普通に使っていた訳ですが、ブロガー以外の方にとっては、必ずしもそうではありませんでした。

 とは言え、「ファシスト」や「ブッシュ」「金正日」も、決して超難解な言葉ではない。余り馴染みは無くても、一般の方でも使う事はある。だから、私のこの比喩表現も、必ずしもチンプンカンプンではなく、言わんとする事はそれなりに分かったのです。でも、上司にとっては、それは余りにも突飛な連想だった。だから、何故いきなり職場の暴行事件が、「ファシスト」や「ブッシュ」「金正日」に結びつくのかが、理解できなかったのです。

 自分にとっては、ごく普通の比喩表現でも、必ずしも相手もそうだとは限らない。だから、余り自分の思い込みだけで記事を書いてはいけない・・・と。そういう事ですね。以後気をつけます。
それでは (修正資本主義者)
2010-08-11 04:34:17
たとえばここ
> それで上記の件ですが、「何に怒っているか?」って、そんなモン、言行不一致に決まってますやん。

これは「マスコミはもはや不要」という論の根本として書いておられる。でもマスコミは「言行不一致」ではないんです。マスコミは「行動」はしないから。「言動」だけ。「言行不一致」という批判はマスコミに投げつけられるには不適切です。

> なるほど、一連の高齢者所在不明報道の字面だけを見れば、さも高齢者の行方不明を心配しているかの様な印象を受けるかも知れません。でも実際に、この国の為政者がやって来た事は何ですか。

だからマスコミは「字面」しかないからマスコミなんですよ。そしてまったく唐突に今度は「この国の為政者」への批判が始まる。マスコミの場合は「為政者との距離」として「権力の提灯持ち」であったり、事実を伝えないという点を追及するべきで、それと「為政者」の件とを区別せずにそのまま書いているのはどういうことか?

>この国の為政者がやって来た事は何ですか。医療・介護保険制度の改悪や生活保護切捨て(水際作戦)などの棄民政策のオンパレードじゃないですか。そして、それを後押ししてきたのが、これまでの大手商業紙などのマスコミ論調ではないですか。
もう、言っている事と実際の行いが違いすぎます。

だから「為政者の政策」と「マスコミ」とは別なんですって。提灯持ちしたのなら、提灯持ちした件で追及はされるべきですが、為政者と区別せずに「行い」を追及してやるのは的はずれ。

> もう、言っている事と実際の行いが違いすぎます。菅首相の広島原爆慰霊式典での「憲法・非核三原則擁護」発言と、同日記者会見での「核抑止力容認」発言やこれまで普天間問題でとってきた態度との違いと、全く同じではないですか。

管首相は糾弾されてしかるべきでしょう。だがこの管発言をもって「マスコミ」がプレカリさんに叩かれるのはなぜなのか? これが【比喩】なんですか? 比喩ではないと思いますよ。単なる論理の飛躍。しかもつながらないという悪い意味での飛躍です。

> 全く同じではないですか。これが言行不一致の二枚舌でないなら、一体何だと言うのですか。

だからマスコミは「言行不一致」で責める相手ではないってば。そしてマスコミが不明高齢者を話題にしたということの、私が「さっぱりわからない」と書いたことへのレスがこれです。どこに「高齢者行方不明」がでてきますか?(反語)。でてきませんね? そしてなぜ高齢者行方不明が「言行不一致」かもわからないまま。管総理の発言のために無辜の?マスコミはプレカリさんに叩かれ「これがマスコミならもうマスコミは不要」とまで決め付けられたわけです。

で、どうなんですか? やっぱり高齢者行方不明の話題を読むたびに「マスコミは不要」でその原因は管総理の発言なんですか?
人権侵害を隠蔽し所在不明だけを言い募る言葉の暴力 (プレカリアート)
2010-08-12 23:24:55
>それでは (修正資本主義者)
>マスコミの場合は「為政者との距離」として「権力の提灯持ち」であったり、事実を伝えないという点を追及するべきで、

 じゃあ、その「権力の提灯持ち」ぶりにもっと的を絞って追及しましょうか。
 ここ数日のマスコミの論調は、所在不明から更に年金不正受給の追及に移りつつありますが、そもそも、この所在不明問題の発端はどこにあるのか。単に高齢者の所在不明が問題であり、「実際は亡くなっていた」とか「ホームレスになっていた」という形で、所在さえ確認が取れればそれで良かったのか。

 違いますね。「何故、高齢者が誰にも看取られずに亡くならなければならなかったのか?」「ホームレスにならざるを得なかったのか?」という背景に潜む問題こそが、最も追及されなければならなかった筈です。

 若しマスコミがその視点に立っていたら、下記記事の様な、経済効率優先の新自由主義的な捉え方ではなく、もっと人権問題としての視点から、この問題を掘り下げている筈です。単なる「所在確認」「生存確認」ではなく、「生存権・人権保障」の在り方として問うている筈です。

・返信なければ年金差し止めへ=生存確認の書類、臨時郵送―厚労省(時事通信)
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100812-00000094-jij-soci
・真夏の怪談“111歳”ミイラ男性放置…「パワーと年金」にすがった家族の異様(産経新聞)
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100808-00000507-san-soci

 ところが、実際のマスコミ論調は斯くの如しです。最初こそ、しおらしく「お年寄りは一体どこに行ったのだろう?」と、如何にも心配しているような素振りも見せていましたが、何のことは無い、最後はやはり「不正受給防止→受給適正化を口実とした福祉切捨て」という、お決まりのコースを辿る事になりました。

 この様なマスコミの姿勢は、何も今回の高齢者所在不明問題の取り上げ方に限った話ではありません。今までも、西成の日雇い労働者の人権問題を住民票詐称問題に矮小化したり、これまでのホームレス収容施設での人権侵害の事実には何も触れずに、収容施設を逃げ出したホームレスや派遣村住民の「得手勝手」を言い募る石原都知事の言い分だけを一方的に垂れ流してきたりしてきました。

 その点に関して言えば、修正資本主義者さんのいう「マスコミは言動・字面だけ」という評価も、マスコミを表面的にしか捉えていないのではないでしょうか。確かに、マスコミと為政者は、全く同じではありません。しかし、前記の時事通信や産経新聞の報道姿勢に対して、これを単に「字面」とだけ見ていては、この報道の持つ「社会的弱者に対する恫喝・暴力」としての側面は見えてこないと思います。
ブルジョアマスコミ (修正資本主義者)
2010-08-13 02:14:16
まだプレカリさんの怒りの矛先はずいぶんマトはずれだとは思います。「高齢者行方不明」の件では「マスコミが報じた」という件では「一見いい事を書いている風だが」と書いていて、「実は報じなかった、あるいは扱いが僅か過ぎて見向きもしなかった他に重大なお年寄りや弱者の困っている現実がある」←だいたいこういう話に今なってきたと読んだのですけれども。だったら「高齢者行方不明」を報じた事自体は「良いこと」じゃないですか?

そしてブルジョアマスコミに対して少し過大な、相手が約束もしていない件を、一方的な思い込みで、それが裏切られたと難じている。そしてその事自体としては「良いこと」であるはずの「高齢者行方不明の報道」をした件によって「こんなマスコミなら不要」と断じている。

まあ紋切り型で恐縮ですが、斯様なブルジョアマスコミの対応はごく自然なもので、これをうちやぶり、真実を伝える報道をするには人民的なジャーナリズムの一層の強化が必要なのであり、そのための自前の足腰をして機関紙をちゃんと発行しているのは「しんぶん赤旗」の共産党のみ。ゆえにプレカリさんはその怒りのもって行き所としては共産党に再入党されて、宣伝、普及、配布、集金、さらには日ごろの身の回りの職場の現状などを通信であげること等によって、正面からブルジョアマスコミの歪んだ報道姿勢を市場から退場させる努力をする方向がいいんじゃないでしょうか?

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