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~サッカーを中心に日々の雑感など~

日めくり万葉集(18)

2008年01月30日 | 万葉集
日めくり万葉集〈18〉。選者は画家の安野光雅(あんのみつまさ)さん。以前に、子どものために買った絵本の挿絵があまりにも魅力的で、親のほうが夢中になったことがある。その挿絵を描いた方が安野光雅さんだった。

【歌】
むささびは
木末(こぬれ)求(もと)むと
あしひきの
山の猟師(さつを)に
あひにけるかも

巻の3・267  作者は志貴皇子(しきのみこ)

【現代文】
むささびは梢〈こずえ〉に登ろうとして、山の猟師に見つかってしまったよ。

【選者の言葉】
ムササビが滑空して飛んでいくのを一回しか見ていないが、そのときには空を飛ぶ獣〈けもの〉がいたなんて、とショックだった。そのことが印象にあって、後に万葉の歌を知った。

昔から名前がムササビでずっと同じということが面白かったが、飛ばなきゃわからないものを、飛んだばかりに見つかって、捕まった。殺されたのかどうかわからないが、”あひにけるかも”ということだから、それが一瞬あわれに思えるし、心打つ歌だ。

ムササビが飛んでいって猟師に見つかったとうだけの歌だが、それが57577の歌になると、どうしてこんな風に磨かれていくのかなと。万葉の場合はストレートに自然だけ。ムササビを見たということだけで歌になる。それがかえって私には新鮮な気がする。

もっと出世しようと思って、色々もがくもんだから、こういう失敗をするんだよというたとえに持っていってしまう。そういう解釈は、今の人はやりやすいが、そういう風にしない方がいい。

なんのためにどういう意味があるかというのは、本人が言ってるわけじゃないんだから。やっぱり素直に自然のままに読んだほうがいいと思う。(おわり)

【壇さんの語り】
ムササビは古来から、日本各地で獲物にされてきた。木から木へと滑空する為に、高いところに登るムササビ。その性質を知って、森の中で見つける猟師。天智天皇の皇子(おうじ)、志貴皇子〈しきのみこ〉は、旅先での一こまを詠んだものとも言われている。

この歌は古くから別の解釈もなされてきた。志貴皇子が生きた飛鳥時代から奈良時代のはじめにかけて、朝廷は血なまぐさい権力闘争の舞台になっていた。志貴皇子と同時代を生きた大津皇子〈おおつのみこ〉は、謀反の罪に問われ、処刑されていた。

そんな時代背景が一つの解釈を生んだ。この歌は高い地位を望んで失脚した人々をたとえたもの、という解釈だ。

〈安野さんの絵本は、子どもが大きくなった後にも我が家には何冊か残っています。絵の隅々まで生き生きと描かれて、細密でありながらとても楽しい絵でした。安野さんのオランダ紀行でしたか、ヨーロッパの街並みを描いたカレンダーの絵も飾ってあります。

大津皇子は皇太子、草壁皇子に次ぐ皇位継承者の立場だったらしいが、謀反の罪で処刑される。つづいて689年皇太子の草壁皇子も亡くなった。というわけで、690年、皇后が女帝、持統天皇として即位ということになる。

朝廷のどろどろした権力争いなどといっても、東洋の日本だけではなくて、イギリスの王室なんかも、王様や女王様になるときの争いはひどいものがあるよ。どこも権力争いは血にまみれて目も当てられない。

この持統天皇のときには、太政大臣に抜擢されたのが高市皇子。その後死ぬまでこの位置にいて大変な財産を残したということだ。まあー、こういう激動の時期だったから、但馬皇女と不倫関係になった穂積皇子も、夫である高市皇子の力が相当怖かったんだろうねえ。)