今回の旅は誕生日を記念して、3人の子どもたちがプレゼントしてくれたものだった。自分たちが行くより上京してくれたほうが旅費が安くつく、併せて観光もかねてというもので、東京から北海道へ行く飛行機代がとんでもなく高くつくことから始まったもの。こどもたちが飛行機のチケットに始まって、なにからなにまで手配してくれた。
今までは子どもの引っ越しや緊急に入院したということでの上京で、一人で電車に乗ってあちこち都内に出かけるというほど余裕もなく(実際、電車の乗り継ぎはそこまでわからない)、あまり観光という旅行にはならなかった。
関西空港に降り立ち、ここで仕事についている一番下の子の新しい住いへ。日中は大阪や神戸へ行き、夜には天然温泉があるからと車で連れて行ってくれるなど、案内するところを一度下見をしに行ってくれたようで、周到な用意には驚いた。中華街は観光客でにぎわっていて、たのしかったねえ。アンリとベルカンプのゴール集は宝物だし、イヤリングとレースのバッグは大切にするからね。カーブのときの運転と食事には気をつけてねー。新幹線のぞみ号に乗って、東京へ。
東京では八王子に住んでいる一番上の子が出迎えてくれた。夜にはお友達と一緒にイタリアンの店へ。おいしかったよー。仕事は30歳になってからがおもしろいと下の子に助言しているようで、親としてはこの大都会でよくぞ頑張っていると頼もしくもあり、同時に結婚の心配もするという、微妙な?立ち位置でもある。
翌日はオルセー美術館展へ。上野公園は晴天もあって、行き交う人がぶつかりそうなほどの、大変な人の数でにぎわっていた。ジャズを演奏している周りにも人だかりがあり、動物園もあるからか、出店も出ていてまるでお祭り気分。椿の赤い花が明るい春の陽光を浴びて輝いていた。ピンクの花をつけていたあの木は何の木?綺麗だったなあー。
入場券を持って、3列か4列になって入り口に並ぶなど、尋常じゃない混みようになっている。説明を耳に当てて聞くイヤホンをつけている人々はじっくり派!でこれがなかなか進まない。お目当てのゴッホのアルルの寝室とアルルのダンスホール。これは最前列の場所へ無理矢理!進み出て見た。(このあたりは普段からサッカーを見ているのが役に立った?)
これだけで目的達成という感じだったが、紹介するTV番組を見ていたので、バジールの大きな絵やマネが描いた黒い服のベルト・モリゾは見てよかった。マネのベルト・モリゾの絵は大きなものではなかったが、一番印象に残った。
その次は練馬の住むこどものところへ。つれあいが何かと気を使ってくれるのが申し訳ないやら。結局疲れてきたので、お手製の餃子などの中華料理をご馳走になった。どれもおいしかったよー。餃子を上手に作るのには感心したし、みず菜と大根の千切り、それに赤いクコの実、クルミが乗っかっている中華風サラダ。あんまりおいしかったからこれからスーパーで材料を探して、作ってみるつもり。
もう一つ見た~異邦人たちのパリ、1900-2005~というのは六本木に新しく出来た国立美術館のオープンを記念して開催されている。出展物が多かったが、目玉は藤田嗣治の絵。「カフェにて」という白人女性がカフェで座っている絵は大きくはなかったが、圧倒的な存在感があった。その透明な乳白色の肌は随分苦労して作り出したもので、西洋の文化の只中にいても、どこか東洋の香りがするという独自色を打ち出したものだ。
大阪で見た佐伯祐三が描いた絵の中にある、顔の部分を自らの手で剥ぎ取ったように、日本人が芸術の発祥地と見なしていたフランスで、東洋文化と融合した自分の画風を確立するのは至難のワザ。藤田はそれを成し遂げた後に、太平洋戦争をはさみ、今度は日本との関係で疎外されてしまう。戦争協力を批判され、その後日本を離れ、二度と戻ることはなかった。「カフェにて」という素晴らしい絵を、肉眼で見られただけでも行ってよかったー。
次は就学旅行以来という浅草へ。雷門がなつかしい。外国人の観光客がいっぱいいた。人の顔が描かれている羽子板と赤や緑や黄色などの色の着いた羽に黒豆か何かの重りをつけたもの。これがいまだにお店で売られたのには感激した。このあたりがいかにも下町の浅草なんだなあと。お正月になると羽子板つきをやっていた昔の思い出がよみがえってきた。なつかしいー。
旅行中はいうなれば興奮状態で、疲れているのかどうかわからないという感じだったが、帰ってくると正気に戻り?どっと疲れが出てきた。文章も考えるどころじゃないというくらいで、今日の休みでようやく一息。
旅行ということもなく、通販で買ってあったドイツのベアー社の靴。柔らかい皮で足指の部分が幅広く、靴紐がくるぶしの上のあたりにあって、調節できるというもの。これを履いていったので、旅行も楽しいものになった。かなりの距離を毎日歩いたが、ひざも大丈夫でホッとした。
子どもたち3人を都会に送り出し、その余波!で老後も悠々自適といえるほど優雅にはいかないが、3人というのは親と子の関係とは別に、きょうだい間の関係があり、これが親としてはなによりもうれしい。ケンカもあるが、助け合って情報交換したり、一緒に旅行もしているようだ。
みんな大人になって、今では親を気遣ったり、助けようとしてくれたり。
とにかく感謝の気持ちでいっぱい!!
涙とともにありがとう!!
今までは子どもの引っ越しや緊急に入院したということでの上京で、一人で電車に乗ってあちこち都内に出かけるというほど余裕もなく(実際、電車の乗り継ぎはそこまでわからない)、あまり観光という旅行にはならなかった。
関西空港に降り立ち、ここで仕事についている一番下の子の新しい住いへ。日中は大阪や神戸へ行き、夜には天然温泉があるからと車で連れて行ってくれるなど、案内するところを一度下見をしに行ってくれたようで、周到な用意には驚いた。中華街は観光客でにぎわっていて、たのしかったねえ。アンリとベルカンプのゴール集は宝物だし、イヤリングとレースのバッグは大切にするからね。カーブのときの運転と食事には気をつけてねー。新幹線のぞみ号に乗って、東京へ。
東京では八王子に住んでいる一番上の子が出迎えてくれた。夜にはお友達と一緒にイタリアンの店へ。おいしかったよー。仕事は30歳になってからがおもしろいと下の子に助言しているようで、親としてはこの大都会でよくぞ頑張っていると頼もしくもあり、同時に結婚の心配もするという、微妙な?立ち位置でもある。
翌日はオルセー美術館展へ。上野公園は晴天もあって、行き交う人がぶつかりそうなほどの、大変な人の数でにぎわっていた。ジャズを演奏している周りにも人だかりがあり、動物園もあるからか、出店も出ていてまるでお祭り気分。椿の赤い花が明るい春の陽光を浴びて輝いていた。ピンクの花をつけていたあの木は何の木?綺麗だったなあー。
入場券を持って、3列か4列になって入り口に並ぶなど、尋常じゃない混みようになっている。説明を耳に当てて聞くイヤホンをつけている人々はじっくり派!でこれがなかなか進まない。お目当てのゴッホのアルルの寝室とアルルのダンスホール。これは最前列の場所へ無理矢理!進み出て見た。(このあたりは普段からサッカーを見ているのが役に立った?)
これだけで目的達成という感じだったが、紹介するTV番組を見ていたので、バジールの大きな絵やマネが描いた黒い服のベルト・モリゾは見てよかった。マネのベルト・モリゾの絵は大きなものではなかったが、一番印象に残った。
その次は練馬の住むこどものところへ。つれあいが何かと気を使ってくれるのが申し訳ないやら。結局疲れてきたので、お手製の餃子などの中華料理をご馳走になった。どれもおいしかったよー。餃子を上手に作るのには感心したし、みず菜と大根の千切り、それに赤いクコの実、クルミが乗っかっている中華風サラダ。あんまりおいしかったからこれからスーパーで材料を探して、作ってみるつもり。
もう一つ見た~異邦人たちのパリ、1900-2005~というのは六本木に新しく出来た国立美術館のオープンを記念して開催されている。出展物が多かったが、目玉は藤田嗣治の絵。「カフェにて」という白人女性がカフェで座っている絵は大きくはなかったが、圧倒的な存在感があった。その透明な乳白色の肌は随分苦労して作り出したもので、西洋の文化の只中にいても、どこか東洋の香りがするという独自色を打ち出したものだ。
大阪で見た佐伯祐三が描いた絵の中にある、顔の部分を自らの手で剥ぎ取ったように、日本人が芸術の発祥地と見なしていたフランスで、東洋文化と融合した自分の画風を確立するのは至難のワザ。藤田はそれを成し遂げた後に、太平洋戦争をはさみ、今度は日本との関係で疎外されてしまう。戦争協力を批判され、その後日本を離れ、二度と戻ることはなかった。「カフェにて」という素晴らしい絵を、肉眼で見られただけでも行ってよかったー。
次は就学旅行以来という浅草へ。雷門がなつかしい。外国人の観光客がいっぱいいた。人の顔が描かれている羽子板と赤や緑や黄色などの色の着いた羽に黒豆か何かの重りをつけたもの。これがいまだにお店で売られたのには感激した。このあたりがいかにも下町の浅草なんだなあと。お正月になると羽子板つきをやっていた昔の思い出がよみがえってきた。なつかしいー。
旅行中はいうなれば興奮状態で、疲れているのかどうかわからないという感じだったが、帰ってくると正気に戻り?どっと疲れが出てきた。文章も考えるどころじゃないというくらいで、今日の休みでようやく一息。
旅行ということもなく、通販で買ってあったドイツのベアー社の靴。柔らかい皮で足指の部分が幅広く、靴紐がくるぶしの上のあたりにあって、調節できるというもの。これを履いていったので、旅行も楽しいものになった。かなりの距離を毎日歩いたが、ひざも大丈夫でホッとした。
子どもたち3人を都会に送り出し、その余波!で老後も悠々自適といえるほど優雅にはいかないが、3人というのは親と子の関係とは別に、きょうだい間の関係があり、これが親としてはなによりもうれしい。ケンカもあるが、助け合って情報交換したり、一緒に旅行もしているようだ。
みんな大人になって、今では親を気遣ったり、助けようとしてくれたり。
とにかく感謝の気持ちでいっぱい!!
涙とともにありがとう!!