もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

0053 杉山登志郎「発達障害の子どもたち」(講談社現代新書;2007) 感想5

2013年04月07日 02時41分10秒 | 一日一冊読書開始
4月6日(土):

238ページ  所要時間3:30      ブックオフ105円

著者56歳(1951生まれ)。精神科医。「アスペ・エルデの会」(軽度発達障害の会)創設者の一人。2007年は、特別支援教育の完全実施元年である。 

※「特別支援教育とは通常教育で行う特殊教育のことと考えるべきである」212ページ

本書を読むのは、2度目である。前回は図書館の本だったが、その後ブックオフで105円で購入してあった。

今回の読書は、体調不良と読書開始時間の夜遅さで、失敗読書だった。しかし、立花隆が、「読むのをやめたくなっても、とりあえず最後までページだけはめくり続けろ。意外な収穫があるものだ。」と書いているのを思い出して、何とかページをめくり、線を引き、ページの耳を折って最後まで行けた。最後まで読めて良かったと思える。

知識の定着という点では難があったが、展開されている話は、医療現場、医療政策、発達障害の子どもたちと保護者、学校現場に対して、実践に裏打ちされた地に足のついた論が展開されている。それが巷間流布されている思いこみ・俗説の間違いを指摘し、正しいあるべき理解に無理なく導いてくれている。恐らく本書は、「発達障害の子どもたち」に関する正しい理解と認知を広げる最もスタンダードなテキストになるべき良書だと推奨できる。

著者は、発達障害の児童・生徒の置かれている通常学級や特別支援クラス、特別支援学校の事情に非常によく通じている。そして、思い込みや俗説に対して明確な指針を出してくれる。選択の基準は、あくまでも「障害を持つ子供自身にとってプラスなのか、マイナスなのか」に尽きる。そしてその答えは、その時点の目先のニーズではなく、子どもたちが成人後にどういう結果になるかから逆算して今の選択を考えるべきだと説く。

一般に小児科医は通常学級が好きであるが、これは成人になるまで子どもたちをフォローアップしていないからであると思う。これまで述べてきたように、成人に達した状態から逆に、今、何が必要かを考えたとき、通常学級に固執することは意味をなさない201ページ

※一世を風靡したスウェーデンなどのインテグラル教育(統合教育)も、古い考え方になってしまった感がある、ように感じたが…、その理解でよいのか。本書が、発達障害者に対する<排除の論理>につながるのは、著者の本意ではない、と思う。統合教育との整合性を整理して欲しい

【目次】*コピペです。
第1章──発達障害は治るのか
第2章──「生まれつき」か「環境」か
第3章──精神遅滞と境界知能
第4章──自閉症という文化
第5章──アスペルガー問題
第6章──ADHDと学習障害
第7章──子ども虐待という発達障害
第8章──発達障害の早期療育
第9章──どのクラスで学ぶか―特別支援教育を考える
第10章─薬は必要か
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130406 永住外国人の地方参政権に反対する民主党<北神圭朗>候補に反対する! 民主党は消滅せよ!

2013年04月06日 14時58分23秒 | 国家の信頼メルトダウン。民主党を打倒せよ
4月6日(土):

「池坊美佳氏辞退の選挙区、民主北神氏の出馬内定」(2013年4月6日09時24分 読売新聞)夏の参院選京都選挙区(改選定数2)の記事を読んだ。

民主党は、全く懲りていない!のを再確認した。野田汚物だけでなく、民主党自体が全く自浄作用のない汚物集団化したようだ!

村山談話の起草にも携わったリベラル政治家の松井孝治に見放された後、恥知らずな前原詐欺師が票目当てだけで池坊のバカ娘美佳を擁立し、その後形勢不利で逃げられてしまった民主党がどうするのかな、とずっと見ていた。

結局、永住外国人への地方選挙権付与に反対する中途半端保守政治屋の北神圭朗を衆院落選後のリサイクル利用したわけだ。保守なら自民党があるから、二番煎じの保守はまったく必要ない! 俺は自民党の西田昌司は、TVで見て、生意気な話し方が大嫌いだが、中途半端な北神よりはずっとましだと思う。

<民主党のリベラル勢力>はもう松下政経塾の中途半端なタカ派保守の素人政治屋(野田汚物・前原詐欺師)と手を切って、もう党をとび出して新たな政治勢力を作って欲しい。投票できるリベラルの受け皿を作って欲しいと心から思う。反原発。反憲法改正。日米安保賛成。自衛隊賛成。生活・経済重視。多文化共生。で結集すれば良いではないか。

野田汚物、前原詐欺師、北神圭朗は、自民党か、日本維新の会に出て行け! おまえらタカ派の保守崩れは要らないし、存在が分かり難いのだ!
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130406 言葉メモ:公案「父母未生以前本来の面目」

2013年04月06日 13時23分46秒 | 日記
4月6日(土):

言葉メモ

公案「父母未生以前本来の面目」(父母もこの世に生まれていない時の本来のお前とはどういう存在だったのか)→夏目漱石「門」、司馬遼太郎「街道をゆく」、高橋和巳「邪宗門」に出てくる。
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0052 磯部潮「発達障害かもしれない」(光文社新書;2005) 感想 3+

2013年04月06日 01時53分27秒 | 一日一冊読書開始
4月5日(金):

※散り始めた桜の花びらを見ていて、「花は何のために咲くのだろう。植物にしたって、しんどいだけだろう…。」って、ふと思い、答えが思いつかないことに少しだけ困惑した。結局、人間が、死ぬ運命にあるのに生まれて生きるのと同じで、「理屈じゃない!」ってことなのか。花は咲くために咲き、人は生きるために生きる。できれば妻だけは幸せにしたいと思う。

<閑話休題>

222ページ  所要時間3:05    ブックオフ105円

著者45歳(1960生まれ)。精神科医。臨床心理士。

本書の副題は「見た目は普通の、ちょっと変わった子」。

知能の高い自閉症である高機能自閉症とアスペルがー症候群を<社会性の欠如>において狭義の自閉症と基本的に切れ目のないまとまりとして自閉症スペクトラム(広汎性発達障害)と呼ぶ。特に知能の高い高機能自閉症とアスペルがー症候群について、その知能の高さによって、自閉症自体の障害がカバーされることはない。できる限り早期診断と早期療育が望まれる。そして、彼らを社会の一員として迎えるために、社会全体に一日も早く、自閉症スペクトラムの存在と、彼らが何に困り、何を必要としているのかを知らしめる啓蒙活動が必要だ! と強く訴えている。

*教育的配慮の必要な子が、約16人に1人いる。クラスに必ず2人はいる計算になる。130ページ

前半、少し読み難さを覚えた。理由は、やはり健常者から見た『障害』表現の平板さ、分かり難さというのか、要するに読んでいて実感に欠けるのだ。前に、ニキ・リンコさんが書いた『自閉っ子、こういう風にできてます』や、マンガ『光とともに』を読んだ時のリアルさに遠く及ばないのだ。

著者によれば、自閉症スペクトラムと同じ範疇で捉えられがちなLD(学習障害)、ADHD(注意欠陥多動性障害)は、併発することは多いが、基本的には別枠で捉えるべきものになっている。

本書全体を通して感じたのは、発達障害、自閉症スペクトラムに対する理解・認知度は医学的にも、社会的にも非常に新しいもので、まだまだ発展途上の学問・取り組みの過渡期的位置付けだということ。そのため、わずか8年前に書かれた本書の内容ですら、「あれ、最近読んだ本と違うぞ…。NHK教育テレビでみた番組では、アスペルガーでも結婚してる人が出てたぞ、結婚できないって書くのはあかんのちゃうか?」「自閉症者から生まれた子供は自閉症を発する確率が高い、ってホントに言い切っていいのかな…?」 非難してるのではなく、何かそこまで言っていいのかな、って素朴に思ってしまうのだ。

著者の自閉症スペクトラムに対する社会全体の認識を早急に高めたいという使命感は本物だし、実際この8年間だけでも、確かに学校や職場で発達障害者への意識・普及は広まってきているとは思う。ただ、まだ新しい分野で古い偏見を退治して、新しい認識を広げようとしている内容のほとんどに納得はいくのだが、ごく一部に、<社会性の欠如>は結局直らない、恋愛・結婚は不可能に近い、ましてや子供をもうけるのはもっと微妙、などと書かれると「それホンマかいな? 言い切っていいのか?」と、まだ新しい発展途上の分野で定説が固まり切ってないのに、著者の啓蒙活動によって新しい偏見・誤解が助長されるのではないか。ごく一部ではあっても、人間の存在の根源に関わる非常に深刻な偏見・誤解が再生産されてしまっては、何をしてるのかわからないじゃないか、と感じた。

読んでいて、感想3にしようか、感想4にしようかと思ったが、まあやはりちょっと…感想3+にした。

【目次】以下。コピペです。
プロローグ
理解されにくい発達障害/悲惨な事件/ユニークかつ興味深い視点
第一章 軽度発達障害とはなにか
自閉症から派生した軽度発達障害/健診でも見落とされがち/五感の過敏性と状況への認知の歪み/私たちの視点は普遍的なものか/原初的な人間の形
第二章 自閉症、高機能自閉症の基礎知識
心を閉ざしているわけではない自閉症――「三つ組」の障害/自閉症の発見/自閉症の診断基準/高機能自閉症とアスペルガー症候群の厳密な区別は困難/一〇〇〇人あたり二人から六人
第三章 アスペルガー症候群の基礎知識
自閉症ではないけど、三領域に障害を持つ子ども/二通りの名称/広汎性発達障害と自閉症スペクトラムの違い/一〇〇人に一人が自閉症スペクトラム
第四章 高機能自閉症、アスペルガー症候群の症状
見えるものが違う?/頭の中は映像の洪水/見えないものは理解できない/ソーシャルスキルの欠如/「三つ組」の障害/(1)社会性の障害――四つのタイプ/(2)コミュニケーションの障害――四つのタイプ/(3)想像力の障害/高機能群の五感の過敏性/苦手なこと/得意なこと/サヴァン症候群/原因/心の理論/自閉症スペクトラムは増加しているのか
第五章 LD、ADHDと軽度発達障害
高機能群とLD、ADHDの重複/二つあるLD/ディスクレシア(難読症、失語症)/ADHDとは/ADDとMBD/LD、ADHDの患者数――六・三%/LDと知的障害の違い/LD、ADHDの原因は何か/LDと自閉症スペクトラムの違い/ADHDと自閉症スペクトラムの違い/LDの心の世界/ADHDの心の世界/LDの治療――個別指導/ADHDの治療――環境調整と薬物療法
第六章 軽度発達障害の実際のケース
作業所でパンを焼く高機能自閉症のA君(一九歳、男性)/サッカーが大好きなアスペルガー症候群のB君(一六歳、男性)/割り算ができないLD(算数障害)のC君(九歳、男子)
第七章 軽度発達障害を治す
いかにして関係性を築くか/お互いの意思を伝えるには/執着行為への対応/薬の有効性/行動療法の有効性/会話を円滑に行うには/時間と空間を理解するためには/親はどう対応すべきか/いつ病名を伝えるか/早期の療育の有効性――知的能力の高さと安定就労は一致しない/いじめと被害妄想――早期療育の効果を損なうもの/友人関係と恋愛関係/就職と結婚/非行と犯罪
エピローグ
参考文献


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0051 竹信三恵子「しあわせに働ける社会へ」(岩波ジュニア新書;2012) 感想4

2013年04月03日 23時32分41秒 | 一日一冊読書開始
4月3日(水):

194ページ  所要時間2:05          図書館

大変残念な読書になった。仕事から帰って、時間のない中、なんとか読書しようと取りかかった。1ページ30秒のペースでは、内容を十分に理解・咀嚼できなかった。しかし、ページの上に目を這わせていくにつれて、この本が良書であり、多少の時間は覚悟してページ折り、線引き読みをできたら、非常に有用な読書になっただろうことは理解できた。自分の本として購入(もちろん古本だが…)して読み返したいと思った

著者59歳(1953生まれ)。母子家庭に育ち、東大を出て、長らく朝日新聞記者と子育てを無理やり両立させてきた。著者の目線は、弱い立場の労働者に寄り添うように向けられている。

「過労死するほどの長時間労働の正社員か、不安定で生活できないほど賃金が安い非正社員かの選択肢の中で、自分の体に合うように働くことが難しい時代になっている(189ページ)」現代日本に生きる若者に「大切なのは、しあわせな働き方について目をふさがないこと、変えていける自信を回復することです」と語りかける内容。日本の労働を取り巻く現状が、如何にさまざまな問題をはらんでいるかが、よくわかる…はずだった…。

*労基署とは先ほど紹介したマンガ「ダンダリン一〇一」のモデルになった公的機関で、会社が労基法を守っているかどうか監視する役割を担い、各地に置かれています。この窓口で「申告に来ました」と言うと、会社に調査に入る権限のある労働基準監督官が出てきます。監督官は相談の割に人員が少ないことが多く、「相談に来ました」というだけでは着手してくれないこともあります。ただ、「申告です」と言えば、監督官には乗り出す義務が発生します。106ページ

*経済が成長を続け、会社が自然に大きくなっていった時代には、学校は子どもを会社に送り出しさえすれば、後は会社が働き手として抱え込み、職業訓練をしてくれることになっていました。ところが、使い捨てることを前提に訓練を施さない非正社員という存在がこれだけ増えてくると、学校や行政、または自力による「仕事をする力」のカリキュラムが必要になってきたわけです。「仕事をする力」をつけることは会社も歓迎します。そのため、キャリア教育に力を入れる学校は、近年増えています。一方で、働き手としての権利やルールを学ぶ「労働教育」は、普及が遅れています。略。働き手が身を守る知識なしでは、会社に入ったとしてもすぐ使い捨てにされる働き方を繰り返すことになりかねません。略。職を得るための「キャリア教育」職を維持するための「労働教育」は、働き続けるための車の両輪です。その両方を身につけることも、落とし穴に備える自分づくりのひとつです。123~127ページ

*フランスでもドイツでも、ヨーロッパの国々に共通のルールの下で、同じ仕事に同じ賃金(同一労働同一賃金)という仕組みがあるため、派遣労働者が正社員と同じ仕事をしている限り、賃金は同じに払わなければなりません。派遣会社は正社員と同等の賃金に加えて、宣伝広告費や派遣社員と派遣先の間をつなぐ営業担当社員の賃金などの経費を上乗せした派遣料金をもらわないとやっていけませんから、派遣料金は正社員を直接雇うより高くならざるをえません。そこで、派遣先の会社は、緊急に必要な場合だけ、派遣社員を依頼する形になり、正社員が減らされて派遣社員で補うといった事態は起きにくくなり、安定雇用が不安定雇用に押しのけられることはなくなります。172~3ページ

目次:※コピペです。
はじめに
第1章 就職難は若者のせいなのか
それは「ぜいたく」なのか/それは「スキル」のせいなのか/それは「えり好み」のせいなのか/それは「覇気のなさ」のせいなのか/労働の手すりが腐食した/手すりが腐ったわけ/「新時代の『日本的経営』」構想/「自己責任」主義の限界
第2章 正社員,大手企業なら安心なのか
会社は「働く」の足がかりにすぎない/「社畜」といわれた人びと/フリーター人気/名ばかり正社員の広がり/中心的正社員にもリスク/「多様な正社員」で大丈夫か/中小企業の再評価を
第3章 まともな働き方をさぐる「前期ロスジェネ」からの出発/ブラック企業の連続/「派遣切り」がやってきた/介護労働と「便利屋」にかけた夢/労働相談への関心/サブカルチャーに支えられ/キャバクラ労組の登場/反貧困のたすけあいネット/人間関係で食べていく/長時間労働を押し返す/大人の支え
第4章 落とし穴に備える自分づくり落とし穴を知っている人,知らない人/働くことの楽しさと苦しさ/労働教育とキャリア教育の両輪を/雪玉型とリセット型/雪玉の核をどうつくるか/自分史年表を書いてみる/方向を定め直す/未来年表で歩き出す方向を考える/時間を生み出すための二四時間手帳/負け癖から抜け出す/自立とは人に助けを求められる力
第5章 しあわせに働ける仕組み作り
それは偉い人が考えればいいこと?/過労死を防ぐ労働時間制度/なぜ長時間労働が騒ぎにならないのか/安定雇用をつくり出す/労働権と派遣法/賃金差別を防ぐ仕組みづくり/安全ネットをつくる/だれが仕組みを変えるのか
おわりに
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150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)