もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

140419 小保方さんをめぐる「STAP細胞」騒動は、「ガリレオ裁判」に似ている。

2014年04月19日 13時04分05秒 | 徒然・雑感
STAP細胞(刺激惹起性多能性獲得細胞;英: Stimulus-Triggered Acquisition of Pluripotency cells)の騒動を見ていて、既視感にとらわれ、ふと思ったことがある。小保方さんをめぐる理研や圧倒的に多くの科学者、マスコミによる断罪は、ルネサンス期の地動説をめぐるガリレオ裁判に似ている。もちろん、俺は科学のイロハも覚束ない人間である。だから、目に見える光景の印象を述べている。

騒動をめぐって、双方にはキャリア、数、組織、社会的地位など圧倒的な力関係の落差・アンバランスがあり、まったく対等ではない。一方が「従来の生物学の常識ではありえない」という知見を頼りに、安全なところに身を置き、一方的に小保方さんの研究者としての稚拙さ、研究レポートの落ち度を指摘し、捏造・改ざんと辱める表現までして、彼女の研究者生命にかかわる責め立て方をしている。

求められているのは「真理」ではなく、科学研究者としての「作法」であり、論文撤回、自説放棄の上での謝罪(土下座)である。それは彼女の名誉を奪い、研究者生命の剥奪につながるだろう。まさに社会全体が、一人の若き研究者を全力で潰しにかかっている。そして、自らの至らなさをひたすら謝り続ける小保方さんが、研究者生命をかけて一つだけ訴え続けるのは「STAP細胞はあります」という言葉である。科学の革新的発見は、多くの場合、無名の研究者のセレンディピティによるものである。

法廷に引き据えられ、孤立無援で、壮大な中世キリスト教神学を前に、神への冒涜を糾弾され、火あぶりの刑を目前にちらつかされて、自説の地動説を捨てざるを得なかったガリレオの「それでも地球は動く」というつぶやきを思い出した。

STAP細胞の真偽はわからないが、STAP細胞をめぐる社会の反応を見ていて、一方的ですごくバランスの悪い、「美しくない光景」を見せられている気がする。

俺としては、今後、「STAP細胞の存在を発見し、世界に最初に発信したのは小保方晴子さんだった」という事実だけは記憶しておこうと思う。もちろん、理科系の方からは「科学では「作法」が大事なんだ! この馬鹿が!」というお叱りを受けるだろうが、俺の内面は、俺のものである。
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