もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

180127 今年のセンター試験 日本史B 100点(55分)、世界史B84点(45分:6問×)

2018年01月27日 18時40分55秒 | 日記
1月27日(土):

忙しさに任せて棚上げ状態だった今年のセンター試験に挑戦した。結果は、見出しの通り。

まず感想から言うと、今年も新聞の活字の小ささに本当に苦しめられた。高齢の読者に対する配慮が無さ過ぎる。もう少し活字が大きければ、随分と楽に解答できたはずである。思考時間が、目を細めて凝らす時間に随分奪われた。

相変わらず日本史Bと世界史Bの問題の出し方は対照的だった。日本史はきちんとした道を時間をかけて歩き続ける感じで、思考と知識の有無が正確に測り取られていく感じだ。対して、世界史は凸凹だらけの荒れた地雷原の道を単純に駆け抜けていく感じ、運が良ければ走り抜けれるが、悪ければドカンと大怪我をする。センター試験の平均点は、日本史B63.92と世界史B70.18と相変わらず不当に日本史の得点が抑えられている印象である。

ただ改めて、世界史の問題の出され方を検討すると、近現代も含めて満点を取る覚悟で受験しなければ、受験生たちは最後まで地雷を踏んでサヨウナラ」の恐怖と背中合わせのままだろう。あまりにも問題がテーマごとに散らばり過ぎていて勉強の仕方が分からない。その点で言えば、日本史の問題は世界史よりもはるかに字数が多くて深い知識と理解を求められる(だから平均点は低くなる)が、あくまでも日本列島の上での問題、プラスアルファ国際問題、なので勉強した分だけ計画的に点数を取れる。思いがけない失敗をすることは考えにくいので、世界史よりも安心して受験ができる。

俺は昔、共通一次試験で、現役のときには日本史85点、世界史63点(ソ連の成立史という超マイナーな問題が出て、動転した)で轟沈してしまった。前年の世界史は90点くらいとれていたので、世界史の失敗が浪人の大きな要因と言える。一浪して世界史を倫理社会に変えて日本史93点、倫社98点だったが、血を吐くように頑張ったのに現役時の世界史が63点で、鼻歌交じりで取り組んだ倫社が98点だった体験は、俺に試験制度への恐怖と教科選択への不信感を強烈に植えつけた。今日、世界史Bのセンター試験をやってみて、相変わらず裏切られる怖差があるのは世界史の方だ、と思った。

今、日本史と世界史のどちらかを受験科目に選べと言われたら、どちらを取るだろう…。恐らく日本史を取るだろうが、世界史が宿命的に“地雷原”を突っ走るような問題しか作れないのは、非常に不幸なことだとも思うのだ。俺の中では、日本史、世界史は車の両輪であり、それに地理を加えるべきだとも思っている。そうでないと、現代社会についてまともな思考はできないはずなのだ。

また何か書ければ書きます。

PS.1月28日(日):日本史も世界史も「原始」はもはや出題できない段階にきている。とりあえず理由は二つ。一つは、近現代出題の増加。もう一つは、科学的分析とのコラボによったりして正直言って、現在は「原始・古代」分野に新しい発見・見解がどんどん広がって定説の揺らぎが増えているために、試験問題を作る制約が多くなっていること、であろう。例えば、日本史では、旧石器、縄文については定説の骨格部分が相当に動揺してきていて出題しにくくなっている。弥生もかなりやばい状況になってきている、という感じなのだ。
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