3月21日(水):
昨夜観たBS-TBS「池上彰vs磯田道史」は対談の白眉だった。二人とも俺が今最も信頼し、判断の指針とする知識人であるが、意外なことにこれが「初めまして」であった。録画できたのは超ラッキー!としか言いようがない。繰り返して観ていきたい。今後、二人の対談をもっと企画してほしいと思う。
実際、内容は、目から鱗が落ちる連続であった。特に、
磯田道史(47歳)の凄味が際立っていた。「もともとこの人すごい人だと思ってたけれど、こんなにすごかったのか」とあきれさせられた。今の日本で、池上彰(68歳)さんを聞き手にして、池上さんをこうも本気で一方的に聞き入らせてしまう対談者というのはなかなかいないのではないか。
井戸を掘るような専門家ならたくさんいるだろうが、井戸の深さに広々とした幅が加わって、広い視野で縦横無尽に語れる人は少ないだろう。「現代の司馬遼太郎」というあだ名には与しない。司馬さんは司馬さんだ。しかし、
歴史の語り部として、磯田道史は今、最も聴き入らせてくれる語り部であると断言する。
今回の対談では、池上さんがこれ以上考えられない最上の聞き手にまわって、磯田氏に自由闊達に語らせることで、日本史に限らず世界史的観点も含めて、現代の複雑で見通せない状況を、歴史学の側から非常に風通しよく見通す視点を与えてくれたと思う。
・強制される詰め込み教育はいけないけれど、
自分の意志で行う詰め込み教育には間違いなく大きな意義がある。ある量を超えるとそれが質に転換する瞬間が必ず訪れる。「量は質に転化する」というのが<弁証法>的考え方だというのを聞いた時、わが意を得たりと思った。これは、
俺の読書観の原点である。6年半前、このブログを始めて、とにもかくにも続けてきたことで、
それ以前の俺といまの俺とで物の見方、考え方、他人との語り方に変化を感じている。一日一冊は実現できなかったが、少なくとも783冊の本について何らかのまとめ、記録を残す意識をもって読んできたことで自分の思考の中に、それなりに太い根っこができているのを実感しているのだ。
・日本は世界的に「国民から見た政治家に対する尊敬・信用度」が最も低いグループに属する国である。今の日本の政治家はレベルが低すぎる。憲政の神様と呼ばれた
尾崎行雄の遺言に選挙について「
日本人は、もう利権や縁故による選挙から自由になるべきだ。あなたが本当にこれが政治の理想だという姿をまず心に思い描きなさい。そしてそれを実現してくれると思う人に投票して下さい。たとえ小さな政党であっても、それが世の中を本当に変えていくことにつながるのです」という言葉のなんと瑞々しいこと。そして、今も実現されていない。
・外交はコミュニケーション能力というよりは、取引材料の保有にこそある。高杉晋作の凧を踏み壊した大人の武士を泥をつかんで投げつける気迫で謝罪させた方法。
・先の戦争は、世界一の人口の中国と世界一の国力のアメリカと世界一の情報力をもつイギリスと世界一の国土を持つソ連というフルコースを相手に戦争をしたのであり、こんなのは外交でも何でもない。単なるスアサイド、自殺みたいなものです。愛国者と称する人たちが、本当に日本のことを愛しているなら、あんなでたらめな戦争を正義の戦争などと認めてはいけない。
・
先の戦争を行った日本には、思う通りにならなかった場合にどうするのかをしっかりと考えておく「反実仮想」能力が全くなかった。その点、豊臣秀吉の朝鮮出兵を計画した石田三成に対して、「この計画には思い通りに勝ち続けた場合の計画しか書かれていない。うまくいかなかった場合を考えていない」と批判した
小早川隆景は偉かった。
・今の日本を経済大国というが、実は
江戸時代こそ日本は世界的な経済大国だった。元禄時代、世界人口の20人に1人がこの狭い国土の日本人だった。ペリーが来航したときの日本とアメリカの経済力は実は、1対1.75ぐらいであり大した差ではなかった。江戸時代の1両が明治の1円になり、為替は1円=1ドルだった。さらに、江戸時代の世界の都市を比べると人口10倍の中国の首都北京の100万人をはるかに抜いて、この小さい島国の江戸が町人だけで100万人それに武士を加えて130万人で世界最大の都市だった。これは参勤交代の効用である。これによって江戸と地方を結ぶ街道筋の宿場も活性化するし、話し言葉の方言はきつくても、書き言葉としても文字は統一されているし、近代的な中央集権官僚制を受けいる器としてのひな形が出来上がっていた。さらに言えば、今の4分の1の人口の江戸時代の寺子屋の数は1万5000程度、今の日本の小学校の数が全国で1万6000程度。人口比から言えば、大変な多さである。
江戸時代の初等教育・識字率(男女で4割程度)が如何に充実していたか。これが、明治の急速な近代国家化を推進する基盤となっていた。
・今2018年を「明治維新150年」を祝う声が上がっているが、私はむしろ
「江戸時代150回忌」と言うべきだと思う。それほど日本の江戸時代はすごかった。
よく西アジアの国々などが、日本の明治になってからの近代国家への変わり身のはやさを称して「日本を見習うべきだ」というが、あれは勘違いで政治的中央集権官僚制や教育の普及・識字率の高さなどすべて江戸時代に用意されていたものであってそれを抜きにしていくら明治の日本を真似ても急速な近代化は不可能だ。
・そもそもペリー来航時に、それほど国力の差が無かったにもかかわらず、あれほど大騒ぎになって近代化にかじを切った日本が、先の大戦ではすでに5倍以上の国力差がついていて、工業生産能力でははるかに及ばないほどの差がついている中でアメリカとの戦争に踏み込んだのは、全くもってでたらめであり、あんな戦争をしてしまった日本の指導者、日本外交のあり方を擁護してはいけない。
まだまだ書き足りないが、正直言ってきりがない。とにかく、昨夜の対談は俺にとっては近来まれに見る見ごたえのある対談であった!