4月2日(土):
報道特集の新キャスターにニュース23のキャスターだった膳場貴子さんが就任していて驚いた。金平茂紀、日下部正樹キャスターに挟まれて座る膳場キャスターの姿を見て心が晴れた。古舘伊知郎のように最後だけポーズで反政権的大見得をきって見せて、「(お忘れかもしれませんが)わたし実は電波芸人だったんです」と言って敵前逃亡する輩はどうでもよかった。しかし、膳場貴子さんが報道に戻ってくれたのは「踏みとどまってくれた」という印象を受けて嬉しくなった。
そういえば2日ほど前に見たNHK「時論公論」でも女性の解説員が、アベノミクスの失敗をほぼ断定するような口調で論じていた。引導を渡す。ダメを押すような印象を受けて、「あれれ、これってNHKだよね!?」と思ったのを思い出した。
背任豚の下衆の極み島田敏男は、今さら方向を転じられず、安倍及び第二の安倍に殉じるしかないので、いまなお安倍政権を擁護し、野党の印象を貶めることに躍起になっているが、そろそろNHKの中でも次の段階を見据えて日和見が始まってるのかもしれない。
最近しきりに
安倍のお気に入りのメス猫NHK岩田明子が痴れっとして安倍礼賛の偏向ニュースを華やかな海外取材現場から7時や9時のニュースに送ってくる。しかし、雑誌やネットで安倍と岩田の関係を知っている人間としては「何を白々しい偏向ニュースを流してるんだ!」と興醒めてチャンネルを変えるか、テレビを切るかをしている。しかし、岩田明子の白々しい安倍様よいしょニュースも何度も見せられると、「こいつら相当焦ってきてるんとちゃうか。明らかにつるんでるやん!?」と勘繰りたくもなる。
7月の参議院選挙を目前にして、確かに潮目は流動化している。安倍は賞味期限切れになりつつある。
野党に本当に勝つ気があれば勝てるのだろう。それを見越して両方につけるような日和見的なポジション取りが始まっているのを感じる。しかし、逆に
野党が本気で勝つ気にならず党利党略、落選議員も含めて政治屋どもが個利個略に走ればほぼ確実に安倍が勝つ。そして、安倍と創価学会党が再度勝てば、日本はジ・エンドだ。日本人は、古代ローマの民衆のようにパンとサーカスに踊らされ続けながら見事に地獄行きとなるだろう。心ある若者たちには、日本を脱出することを本気で勧める。世界は広い、こんな下らない国に執着する必要はない。俺のような盛りをとうに過ぎた初老以上の年寄りは、正直逃げ場がないので、この国に残って精一杯子々孫々のため、自分にできる努力をし続けるつもりだ。ただそれは希望の乏しい衰亡への道だ。滅びへつながる門は広い!
俺は、「野党に本当に勝つ気があれば勝てるのだろう」と言った。しかし、今の野党には、本気で勝つ気が全く見られない。民進党は、ほぼ確実に大敗するだろう。もしも勝てる見込みがあるとすれば、生活の党小沢一郎を三顧の礼を尽くして民進党首脳の一人として迎え入れ、共産党が史上初めて見せた本気の野党共闘への意志(これこそが、ある意味で
真の55年体制の終わりだ!)を最大限に活用し、信頼関係を築く努力をすることだ。
この二つを両立させることは、二つに見えて実は一つのことなのだ。要するに、民進党が本気で変わることであり、それは結局「鳩山由紀夫内閣の<包摂の政治>の原点に戻る」ことである。
もし民進党の岡田が本当に勝ちたければ、小沢一郎と共産党との連携に政治生命を懸けて全力で取り組めばよい。そうすれば、SEALDsの若者たちが、学者の会とともに全面的に参加し、沖縄の人々の怒り、福島原発事故の無反省への怒り、原発再稼働への怒り、弱者切り捨て政治への怒り、他すべての怒りが有機的に連動して全国的な政治のウェーブが巻き起こるだろう。それができなければ、自民・公明与党は政権政党の強みで様々な政策をパッケージにして、最良のタイミングで選挙を仕掛け、野党は小選挙区制の下、政策ごとに各個撃破され、見るも無残な敗北を喫するだろう。
岡田よ、10万を超す市民が国会前に押し寄せ、全国で100万近い人々が立ち上がった9月19日、野党党首が皆、台にのぼってつないだ手を高らかに上げて拍手喝采を浴びた瞬間を思い出せ! あれは、国民からの「約束だぞ、絶対に野党共闘を実現して戦争法案成立の無念を晴らすんだぞ!」という国民・市民の声に約束した瞬間だ、ということを思い出せ!
小選挙区制で真に国民・市民の期待に応えるためには、政党・政治家の都合ではなく国民の願いにきちんと寄り添い実現するために努力するしかない。そのためには、
まず頼りになる存在とならねばならない。負けることが解ってる勢力を誰も応援できない。
どうすればいいのか? 難しいことではない。「手をつなぎさえすればよいのだ。」大義はある。「国民のために!」を大義とすれば必ずできるはずだし、手をつながないこと自体が<国民への背任・背信行為>になるのだ。そして、手をつなぐ上で最も重要なことは「力ある者(即ち民進党)が譲る度量を示す」ことだ。これは政治の要諦でもあるだろう。念のために言っておくが「譲る」とは、「威張る」ことではない。自らの身に強い痛みを伴わない「譲る」はあり得ない。
正解は明確にわかっている。国民は注視している。しかし、俺は悲観的だ。今の民進党は、わざと正解を見ようとせず、さも他に道があるかのようにダラダラとしている。本当であればまなじりを決して覚悟を示さなければならない時期に、まだ「小沢は嫌だ」「共産党との共闘はあり得ない」というお馬鹿な声が消えるどころか強まっている。
真理を貫く者が最も強いとすれば、真理から目を背けようとする者は最も弱いとしか言えない。小選挙区制で政権政党がどれほど有利な強いルールによって守られて強力であるか。憲法を守り、平和で弱者に優しい戦後日本を守るための最後の戦いだという緊張感・切迫感を持ってほしい。
最後に敢えて言うが、SEALDsも学者の会もその他の
戦後日本の平和の継続を願う勢力は、岡田民進党に見切りをつけて、共産党、社民党、生活の党、沖縄県、原発反対、護憲勢力等々と結束して新たな第三極を作って闘うことを本気で考えてもいいかもしれない。ほぼ100%負ける闘いだが、少なくとも俺のような今のままの民進党には投票できない、もちろん自民党には投票しないから白票しかないかと思っている人間に投票する受け皿を用意し、もし民進党が善戦(絶対にできないだろうが…)すれば、そこで共闘すればよい。
とここまで書いてきて、「
ああ結局、あのどぶの目をした男が勝つのか…。しどけない下衆なニヤニヤ笑いを7月以降も見続けさせられるのか。そして、岡田が大根役者のような演技をともなって敗北、代表辞任を表明する一方で、民進党の当選議員は国民の失望もどこ吹く風でこちらもニタニタ笑うのか。そして、日本は堕ちていく。朽ちていく。もっと良い世の中に住めるはずなのに腐臭の中で腐臭を腐臭とも思わず生きていくことになる。子々孫々に申し訳がない。」筋書きのわかった腐った芝居をまた見る羽目になると思うとただただ残念な思いになる。
白隠禅師座禅和讃に「たとえば水の中にいて渇を叫ぶが如きなり。長者の家の子となりて貧里に迷うに異ならず」だったか。今の日本は反知性主義の中で道を見失って新自由主義・戦争・原発という煩悩の巷でくるくる迷走し続けて自ら墜落しようとしているようにしか見えない。
※都合により弊ブログは、2週間ほどお休みさせて頂きます。復帰後は、またお立ち寄り下さいませm(_ _)m。次回からは、読書も少しずつ復活させていきたいものと考えています。