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薩摩藩と会津藩の教育

2017年01月27日 22時43分12秒 | 歴史マニアのひとり言
以前受けた研修の講師の話が印象的だったので紹介

明治維新を支えた薩摩の郷中教育(会津藩との比較)
薩摩藩の教育:教科書を覚える事よりも議論することを重視した。(郷中教育)
会津藩の教育:教科書を覚えることを重視した。
明治維新期の薩摩藩:当初は江戸幕府側についていたが、戦局を見極め討幕側に転換。
明治維新期の会津藩:最後まで幕府側として戦い、敗戦した戊辰戦争で大きな被害を出す。
つまり、マニュアル型の会津より、みんなで考えて議論する薩摩のの方が臨機応変な対応が出来たという事。


議論を重視した薩摩藩の臨機応変さを紹介した内容だが、歴史ファンとして会津藩の会津魂についても個人的に以下のとおり捕捉したい。
会津藩の藩祖である保科正之は2代将軍徳川秀忠の息子にあたり、徳川家に忠義を尽くす藩の方針を示す「会津藩家訓15ヶ条」、「什の掟」を残した。
そして会津藩はその藩祖の教えを270年間忠実に守り通し最後まで徳川家の為に戦い尽くした。
現在に例えて言うなら約270年前は、田沼意次やルソーが活躍していたころ。田沼意次やルソーの教えを命を懸けて守り通したという感覚。
結果的に明治維新で大きな被害を残したが、その会津魂は間違いなく誇れるものであり、明治期に薩長が幅を利かせる中で肩身の狭い思いをしながらも、野口英世を輩出するなど、逆境の中でも大きな成果を残している。

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