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1000年と1日前の今日

2018年10月17日 21時07分39秒 | 歴史マニアのひとり言
藤原道長が「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」と詠んだのは寛仁2(1018)年10月16日。今からちょうど1000年と1日前の今日のことだった。

藤原氏が全盛の時代を迎えていたのがちょうど1000年前というのはなんだか感慨深い。
正式に日本の歴史が始まったと言っても過言ではない大化の改新で重要な役割を果たした中臣鎌足が藤原氏の祖。
日本を天皇中心の国にした張本人の子孫が、摂政関白を牛耳り日本の政治の中心になったわけだが、藤原道長以降は藤原氏の名前は歴史の教科書に出てこない。
今回は区切りの良いタイミングだったので藤原道長以降の藤原氏について少し調べてみた。

藤原氏は摂関政治を続けようとするも、血筋を引く天皇の子供が出来ず、時代は摂関政治から院政に移り変わり、武家政治、明治維新というのが歴史の流れ。
ただし武家政治になったタイミングで、摂政関白を出す家を定めることになり、藤原氏はここから明治維新までのおよそ700年間、摂政関白を輩出する家柄(近衛家、鷹司家、九条家、一条家、二条家)として宮中の中心に居続けた。

そして明治維新後の現在の各家の現在は、
近衛家は太平洋戦争中の総理大臣の近衛文麿を輩出。現在の当主は日本赤十字社の社長。またアジアで初の国際赤十字・赤新月社連盟(世界191の国と地域)の会長にも就任。
鷹司家は伊勢神宮の大宮司。
九条家は平安神宮の宮司。
一条家は弁護士。
二条家は神官。

藤原氏は1000年経った今でも、形を変えこの国の中枢にいる。

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