氏真、寂たり 秋山香乃著(静岡新聞社)
最近読んだ歴史小説「氏真、寂たり」についての感想。
主人公は今川氏真。桶狭間の戦いで信長に敗れた今川義元の嫡男で、桶狭間の戦いの後、歴史の表舞台から名前が消えていった今川氏の棟梁。世間的には今川氏を率いる才覚が無かった「うつけ者」として語られることの多い人物。
今川氏真については以前から関心があり、戦国大名としては才覚は無かったかもしれないけれど、一族を率いる棟梁としてはもっと評価されるべき人物だと思っていたので、この今川氏真が主人公の歴史小説が昨年9月に発行されていたと知りさっそく読んでみた。
読んでみての感想は、非常に面白い作品で、あまり知られていない桶狭間の戦いの後の今川氏について、時代の波に翻弄される氏真がどのように戦国時代を生き抜いたのかが描かれていた。
今川氏は桶狭間の後に滅んではいなくて江戸時代も高い身分(旗本)の家として存続している。
武家に朝廷に対する礼儀作法を指南する「高家」という役職があり、今川家は代々その役に付いていた。家康が江戸幕府を開くときや、その約270年後の幕末に江戸城開城する時の新政府軍との交渉役でも今川家は主な役割を担っている。
忠臣蔵で有名な吉良上野介も高家の役職の1人で、吉良家と今川家は親戚になる。
戦国大名としては花を咲かせることが出来なかった氏真だが、今川家の強みである朝廷とのつながりや教養の高さを活かして、長く続いた江戸時代に名門の家柄として残している。
例えば、武田信玄は同盟を結んでいた今川の領地に攻め込むために今川から正室を受けていた自分の嫡男を殺している。
それに対して今川氏真は北条から受けた正室と生涯仲睦まじく暮らし、自身の子供は1人も戦で亡くすことは無かった。
比べ方は間違っているかもしれないが、滅亡した武田家より今川家の方が明らかに幸せな結末を迎えている。
今川氏真の略歴
・桶狭間の戦いで父の義元が敗れた後、弔い合戦をせずに世間的評価を落とす。
(実際は何万という兵をすぐに動かすのは現実的に不可能だった)
・武田が同盟を破り今川領地に攻め込んでくる。今川家臣の多くが武田に寝返り氏真は掛川城へ逃げる。
・掛川城が徳川家康に攻められるが何とか籠城し和睦。
・妻の実家の北条を頼り北条の家臣になる形で、事実上国持ち大名ではなくなる。
・北条の庇護を受け隠居生活をしていたが、武田を討つため徳川の家臣となる。
・徳川の家臣として長篠の合戦に参戦。武田相手に勝ち戦をおさめる。
・長篠の合戦の後、武士を引退。文化人として生きる道を選ぶ。
・京で文化人(主に和歌)として活躍。朝廷との結び付きを深め、家康に京の情勢など情報を伝える。
・息子が徳川の旗本として取り立てられ、高家として武家へ朝廷に対する対応の所作などを指南する家柄となる。(幕末まで今川家は高家として存続)
・氏真自身は天下泰平の江戸幕府の世となった後77歳の大往生で生涯を閉じる。
※今川氏真の和歌と蹴鞠は、多くの人を魅了する名人の域に達したものだった。
戦国大名としての才覚は無かったかもしれない氏真。しかし今川家の目指す天下泰平の世を幼少期に共に学んだ徳川家康に託し、自身は和歌や蹴鞠といった得意分野を活かして朝廷との結び付きを作り、戦国大名とは違った形で家康をサポートして、今川家を江戸時代300年間続く名門の家柄として残した氏真の功績はもっと評価されて良いと思う。
本書の中でちょっと印象に残った部分
武田信玄の父の信虎について、信虎の娘が義元の妻。つまり信虎は氏真の母方の祖父ということになる。
この信虎は息子の信玄に国を追い出され、娘の嫁ぎ先の今川家で隠居生活を送っていた。
信虎の隠居生活は、京の有力者や朝廷との結び付きを活かして、今川家と朝廷との縁談をまとめたり、朝廷に対する口利きをしたり、今川家が朝廷との結び付きを強める事に関して貢献しており、氏真はそんな祖父の姿を「こんな生き方もあるのか」と間近で見ていた。
そんな武田家当主の隠居後の姿を、今川家の当主が戦国の世で生き残っていく術の大きな参考にしていたというのは面白い歴史の綾だと感じた。
最近読んだ歴史小説「氏真、寂たり」についての感想。
主人公は今川氏真。桶狭間の戦いで信長に敗れた今川義元の嫡男で、桶狭間の戦いの後、歴史の表舞台から名前が消えていった今川氏の棟梁。世間的には今川氏を率いる才覚が無かった「うつけ者」として語られることの多い人物。
今川氏真については以前から関心があり、戦国大名としては才覚は無かったかもしれないけれど、一族を率いる棟梁としてはもっと評価されるべき人物だと思っていたので、この今川氏真が主人公の歴史小説が昨年9月に発行されていたと知りさっそく読んでみた。
読んでみての感想は、非常に面白い作品で、あまり知られていない桶狭間の戦いの後の今川氏について、時代の波に翻弄される氏真がどのように戦国時代を生き抜いたのかが描かれていた。
今川氏は桶狭間の後に滅んではいなくて江戸時代も高い身分(旗本)の家として存続している。
武家に朝廷に対する礼儀作法を指南する「高家」という役職があり、今川家は代々その役に付いていた。家康が江戸幕府を開くときや、その約270年後の幕末に江戸城開城する時の新政府軍との交渉役でも今川家は主な役割を担っている。
忠臣蔵で有名な吉良上野介も高家の役職の1人で、吉良家と今川家は親戚になる。
戦国大名としては花を咲かせることが出来なかった氏真だが、今川家の強みである朝廷とのつながりや教養の高さを活かして、長く続いた江戸時代に名門の家柄として残している。
例えば、武田信玄は同盟を結んでいた今川の領地に攻め込むために今川から正室を受けていた自分の嫡男を殺している。
それに対して今川氏真は北条から受けた正室と生涯仲睦まじく暮らし、自身の子供は1人も戦で亡くすことは無かった。
比べ方は間違っているかもしれないが、滅亡した武田家より今川家の方が明らかに幸せな結末を迎えている。
今川氏真の略歴
・桶狭間の戦いで父の義元が敗れた後、弔い合戦をせずに世間的評価を落とす。
(実際は何万という兵をすぐに動かすのは現実的に不可能だった)
・武田が同盟を破り今川領地に攻め込んでくる。今川家臣の多くが武田に寝返り氏真は掛川城へ逃げる。
・掛川城が徳川家康に攻められるが何とか籠城し和睦。
・妻の実家の北条を頼り北条の家臣になる形で、事実上国持ち大名ではなくなる。
・北条の庇護を受け隠居生活をしていたが、武田を討つため徳川の家臣となる。
・徳川の家臣として長篠の合戦に参戦。武田相手に勝ち戦をおさめる。
・長篠の合戦の後、武士を引退。文化人として生きる道を選ぶ。
・京で文化人(主に和歌)として活躍。朝廷との結び付きを深め、家康に京の情勢など情報を伝える。
・息子が徳川の旗本として取り立てられ、高家として武家へ朝廷に対する対応の所作などを指南する家柄となる。(幕末まで今川家は高家として存続)
・氏真自身は天下泰平の江戸幕府の世となった後77歳の大往生で生涯を閉じる。
※今川氏真の和歌と蹴鞠は、多くの人を魅了する名人の域に達したものだった。
戦国大名としての才覚は無かったかもしれない氏真。しかし今川家の目指す天下泰平の世を幼少期に共に学んだ徳川家康に託し、自身は和歌や蹴鞠といった得意分野を活かして朝廷との結び付きを作り、戦国大名とは違った形で家康をサポートして、今川家を江戸時代300年間続く名門の家柄として残した氏真の功績はもっと評価されて良いと思う。
本書の中でちょっと印象に残った部分
武田信玄の父の信虎について、信虎の娘が義元の妻。つまり信虎は氏真の母方の祖父ということになる。
この信虎は息子の信玄に国を追い出され、娘の嫁ぎ先の今川家で隠居生活を送っていた。
信虎の隠居生活は、京の有力者や朝廷との結び付きを活かして、今川家と朝廷との縁談をまとめたり、朝廷に対する口利きをしたり、今川家が朝廷との結び付きを強める事に関して貢献しており、氏真はそんな祖父の姿を「こんな生き方もあるのか」と間近で見ていた。
そんな武田家当主の隠居後の姿を、今川家の当主が戦国の世で生き残っていく術の大きな参考にしていたというのは面白い歴史の綾だと感じた。
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