島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

113-1東山天皇

2022-10-28 | 天皇陵巡り

 暑すぎた今年の夏が終わったと思ったら、秋はなくてすぐに寒くなってきています。

まだ暑かった頃に食べた(飲んだ)マンゴーとメロンの氷(ジュース)、と言うことで久しぶりの月輪陵です。

 第112代霊元天皇(1654~1732)(在位1663~1687)の第4皇子で、寵愛した典侍松木宗子(マツノキムネコ)(1658~1732)が産んだ五宮は、七歳で儲君治定(チョクンジジョウ)(立太子以前に皇嗣の身分を定める制度で、今回の東山が初めてです)親王宣下され、朝仁親王(アサヒトシンノウ)となりました。

こうする前に、前回に報告した第1皇子済深親王を強引に出家させた小倉事件(1681)が有るのです。

  写真は月輪陵のある泉涌寺山門です。

 1683年に立太子した朝仁親王は1687年即位し、第113代東山天皇(ヒガシヤマ)(1675~1709)(在位1687~1709)となりました。

父霊元上皇の強い意向で、大嘗祭(ダイジョウサイ)などの朝廷儀式の復活もありましたが、徐々に父上皇の院政から離れ、親政時代は自身の温厚な性格もあり、徳川幕府と円滑な関係を築いたため、幕府より御料の増加や山稜の修復なども行われました。

 時は元禄時代、5代将軍綱吉の治世で、生類憐みの令が出され、1701年には東山天皇が幕府に送った使者の接待中に起こった、浅野内匠頭が吉良上野介を松の廊下で切りつけた赤穂事件(忠臣蔵)がありました。

 第101代後西天皇の第2皇子有栖川宮幸親王(アリスガワユキヒト)の娘幸子女王(ユキコ)(1680~1720)が皇后でしたが、内親王しか産まれませんでしたので、典侍櫛笥賀子(クシゲヨシコ)(1675~1710)との間の皇子が次の天皇になりました。

 東山天皇は譲位後半年36歳で痘瘡で亡くなり、月輪陵(ツキノワノミササギ)(東山区今熊野泉山町)に葬られました。

  月輪陵は横から塀越しに中が見えますが、なんせ30人以上の墓、どれが誰の墓かまでは確認できませんでした。

  NHK朝ドラ「舞いあがれ!」も2週間で五島の話は終わってしまい、やや興味も薄れた私は、放映時間中にこのブログを書いています。


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3 コメント

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Unknown (Toitenlabee)
2022-10-28 19:22:33
♪舞い上がり 揺れ落ちる テレビの向こうに あなた
ブログが 見える、、、

あなたと 食べたい 甘味ごーえ!

じゃ、いつか、タルト持っていきますね!
返信する
Toitennさんへ (島の医者になって)
2022-10-28 19:52:46
 ♫タンタン タルトの
  お土産わ~ 箱に入れられ
   ゆ~らゆら ♪
狸で思い出しましたが。栗太郎のポンポンパイでも与楽のいちご大福でも大歓待ですよ!
返信する
Unknown (Toitenlabee)
2022-10-29 00:53:01
ポンポンパイ なつかしや。
イチゴ大福はよく食べますが、、、。
豆餅だけ 拒否ですね!?わかりました。笑
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