島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

112-3霊元天皇典侍松木宗子

2022-10-02 | 天皇陵巡り

 第112代霊元天皇(1654~1732)(在位1663~1687)が数多くの女官と関係を持って、後宮がややこしくなってきたので、前回の鷹司房子(1653~1712)を正妃とし、典侍も減らしましたが、思惑の皇子は産まれませんでした。

 これに不満を持っていた霊元天皇は、とうとう自分自身で典侍松木宗子(マツノキムネコ)(1658~1732)を任命し寵愛しました。

 写真の塀に囲まれた墓の後ろに写る建物は、河原町通りを隔てた私の母校です。

制札には 敬法門院 藤原宗子墓以下十一墓 とありました。

 宗子は3皇子と4皇女を産み、そのうち第4皇子であった朝仁親王(アサヒト)が第113代東山天皇(1675~1709)(在位1687~1709)になったので、朝廷内での影響力は強くなりました。

 墓の門扉の間からも、中は全く見えませんでした。後ろに写ってるガラスのビルも、在学中はなかったですが私の母校です。

 息子東山天皇にも先立たれ、影響力を失った宗子は55歳で出家し、敬法門院(ケイホウモンイン)の女院号も受けましたが、強かったころの態度が悪かったのか、その後の待遇はあまり良いもので無かったようで、ここ清浄華院(ショウジョウケイン)(上京区寺町広小路上ル)に葬られました。

 河原町通りに面した清浄華院の門ですが、入った左手に土塀に囲まれた上の写真2枚の墓があります。

大学3回生~6回生の4年間は、ほぼ毎日この門の前を通っていたと思いますが、全く眼中になかったというお粗末な青春です。

 阪神は他力本願で恥ずかしながらCS進出出来ましたが、それ以上は望みませんし、岡田新監督で来年は堂々と優勝してほしいです。

 ラグビーはオーストラリアAとの第1戦に負けてしまいました。来年のW杯はよっぽど強化しないとしんどそうですが、大阪での第3戦は切符取れましたので、観に行けるその試合だけでも勝ってほしいです。

 競馬半年以上ぶりに万馬券獲れました!!

三連複より高い馬連ですので、上手!と自画自賛してます。ホンマに久しぶりの勝ちですよ!ついでに今晩の凱旋門賞も日本馬が勝つことを祈ってます。

コメント (6)
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