島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

85-1仲恭天皇

2021-04-16 | 天皇陵巡り
 
 祖父の後鳥羽上皇が誕生を待ち望んでいたという懐成親王(カネナリシンノウ)は、第84代順徳天皇の第1皇子として産まれ、母は摂政九条良経(ヨシツネ)の娘の中宮立子(リッシ)(1218~1234)です。
 
 誕生早々に立太子し、1221年4月には、祖父後鳥羽上皇の討幕計画に加担するために退位した父順徳天皇の後を受け践祚(センソ)(天子の位を受け継ぐこと)、第85代仲恭天皇(チュウキョウ)(1218~1234)(在位1221.4.20~7.9)となりました。
  名もなき天皇ですが、参道はきれいに整備され、まずまずの大きさもある陵です
 
 でも、位についたことを内外に示す即位は行われない間に、5月には承久の乱が起こり、瞬く間に敗北に終わったので、乱後の7月には鎌倉幕府に依って、仲恭天皇は廃されてしまいました。
  参道奥の制札の立つところから、直角に曲がると拝所に出ます
 
 わずか4歳の天皇で、在位期間も歴代天皇最短の70日、即位の式も行われてない「半帝」「九条廃帝」と呼ばれていましたし、歴代天皇として第85代仲恭天皇の諡号(シゴウ)が贈られたのは、明治3年(1870)のことです。
  拝所から参道を振り返った写真です
 
 明治維新直後で、長州藩士がいばりくさっていた頃に陵が出来たのか、拝所正面下に写真のように、維新戦役防長藩士之墓が並んでいるのが、ちょっと気に入りませんね。
 又参道途中には、崇徳天皇皇后聖子の陵も有るので、歴代天皇と認められてから作られた陵のようと思います。
 
 廃帝後は、母の実家九条の家に引き取られ、皇女も一人もうけていますが、17歳で没しこの九条陵(クジョウノモササギ)(伏見区深草本寺山町)が治定されています。
 
 陵から少し下って師団街道沿いの道端に、写真のようにある東山本町陵墓参考地が、元々の仲恭天皇陵だと言われています。
廃帝にしては、母の実家の力か、結構な陵に丁寧に葬られたようですね。

        返事
大雪男さん:阪神上手く行きすぎで心配、
    と言うか、セリーグの他チームが悪すぎですね。
    (巨人がその中で勝ってるのが嫌ですが)
     最近のラグビーはノックオンしませんね。
    近くからあんなに速いパスをほられたら、
    私は全て落としてましたね!
    最近はボールも良くなったのですかね。

コメント (1)
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